Assassins(2014/12/20ソワレ、12/21ソワレ)

観ることになった経緯
元々はといえば映画「レ・ミゼラブル」を観てアンジョルラス役のアーロン・トヴェイトにハマったのがきっかけでブロードウェイミュージカルやウェストエンドミュージカルに興味を持つようになった。いわば今の私がこうなった元凶、もとい原因は彼にあるといっても過言ではないだろう。そのアーロン・トヴェイトが運良く私が渡英している期間にミュージカル「Assassins」に出演すると知り、「これは観なければならぬ」ともはや義務感、いや使命感にかられて観ることとなった。日本で軽めの予習をして観劇。

注意:
前回と同じように最初は旅日記、途中から観劇記、考察になっています。
一応ミュージカルを観ていない人にもわかるようあらすじや説明も入れていますが完全に観た人向けのレポとなっております。ご了承ください。あとネタバレしてます。キャストの感想が知りたい人は最後あたりで書いてあるのでスクロールしてください。

Menier Chocolate Factoryまで
Assassinsが上演されているMenier Chocolate Factory の最寄駅はロンドンブリッジ駅。ようやく慣れてきた地下鉄を乗り継ぎ、改札の地図を確認してから地上へ出る。そして案の定迷子になる。地図が読めない人間なのだ私は。しばらく地下鉄の出入り口付近で右往左往してから何やら随分と楽しそうに話しながら歩いている黒人女性2人組に声をかける。ちなみに海外で道を聞くのはこれが初めてだった。
「あのー、すみません。ここに行きたいのですが知ってます?」
iPhoneで地図を見せる)
「あら、知らないわ。あなた知ってる?」と隣の女性に確認をとる。
「知らないわー。」
あぁならば仕方ない彷徨うとするかと少々落胆しつつお礼を言って去ろうとしたら何と彼女たちがiPhoneを取り出し検索し始めた。
「Menier Chocolate Factory ね。(私の表示した画面を見ながらiphoneを操作する)」
「あ、日本語!あなた日本人なの?コンニチワ―!」
「ほらここよ。さあ行きましょう!」そう言って歩き出す彼女たち。
「(えっ連れていってくれるの?)」
内心びっくりしつつもついていく。

「日本のどこから来たの?東京?」
「いつからいるの?いつ帰るの?」
「学生?バケーションなの?1人で来たの?友達は?」
「何しに来たの?」
と質問攻めにあう。どうやら好奇心旺盛な方々のようだ。つたない英語でなんとか答える。
時々はぐれそうになったが「ちゃんとついてきてくれてる?」と私の存在を確認しつつ劇場まで連れていってくれた。劇場入り口にあるレストランのメニューを見て「いいメニューね。」と言われ、私が褒められたわけでもないのになんだか急に照れくさくなった。

「ミュージカル楽しんでね。貴方に会えてとても光栄だわ。またお会いできたらいいのだけど」
「気をつけて。ロンドンはいい街だから気に入ってくれると思うわ。」
海外で初めて触れる人の優しさに泣きそうになりつつお礼を言う。
「本当にありがとうございました。貴方たちに会えて本当によかった。どう言えばいいのか。」
「いいのよ!いい旅にしてね!」

彼女たちが遠くへ行って小さくなるまで見送ってから劇場に入った。またお会いしたい。

Menier Chocolate Factoryは劇場にレストランが併設されている施設でまずレストランに入り、突っ切ってから奥にある劇場に入る。という構造になっており、不安に思いつつ「Theater」と書かれた小さな看板の下をくぐり中へ進む。

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よし、到着
想像よりもずっと狭く天井も低い、劇場の待合場、といよりバーっぽい。ソファー席もあるし。

ボックスオフィスで名前を言ってチケットをもらう。ボックスオフィスにはAssassinsのサウンドトラック(BWリバイバル版)やプログラム、それに銃やキャリーバッグケースの形をしたチョコレートが販売されており銃の形をしたチョコレートとプログラムをフォロワーさんに頼まれた分もいれて4冊買う。
「4冊!?」と窓口のお姉さんに驚かれた。可愛い。開場まで時間が余っておりバーで水を買う。
「炭酸が苦手なので炭酸以外のものがいい。ある?」と言ってみるもまったく伝わらなかった。無念。

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買った水。レモンを入れてくれるのが嬉しい。プログラムを読んだり壁に貼られている舞台写真を見てみたりして開場までの時間潰しをして待つ。カランカランと低めの鐘の音がどこからか聞こえてきた。開場の合図だ。

その鐘の音を聞いて何故か一気に血の気が引いた。
同時に「何か恐ろしいことが起こる」と思った。
私の耳にはこう聞こえたから

「さぁ寄ってらっしゃい見てらっしゃい。楽しい『見世物芝居』の始まりだよ。」

見世物小屋」-入場から既に始まっているジェイミー・ロイドの演出
さて、何故私がここで怯えていたのかミュージカルのあらすじを交えてご紹介したいと思う。
ミュージカル「Assassins」(直訳:暗殺者達)とはアメリカ合衆国大統領を暗殺した暗殺者達のミュージカルで、彼らが大統領暗殺に至るまでの過程、そして暗殺した後について描かれたものである。(予習まとめはこちらから)「暗殺者」と言えば聞こえはいいが結局は人殺しの集団である。人殺しによる大統領殺人ショー。私が先ほど怯えていたのはこれを知っていたからである。興行主は私達を呼ぶ為に鐘を鳴らしたのだ。そう感じた。興行主が「彼」なのか「彼ら」なのかは未だにわからないが。とにかく、開場したのだから入らなくてはいけない。チケットを片手に用意して入口へ向かう。階段があって下に続いていた。階段を下りると大きなピエロの顔があってその口をくぐって劇場に入る。という風になっていた。そのピエロゲートをじっと見てみる。私が普段想像しているピエロとは異なるものでおちゃらけた可愛らしいものではなく、牙を生やし、今にも誰かを襲いそうな表情をしている。怖い。中に入る。薄暗い。入ったところに先ほどのボックスオフィスのお姉さんがいて座席がわからないのでチケットを彼女に見せる。
「あら、ここよ。」
と彼女のすぐ隣にある席を示される。入り口側最前列の上手端。A1であった。
座席が谷構造になっていてステージが一番下にくる形になっている。舞台ではあるが「台」というものはなく最前列では同じ地面、同じ目線でパフォーマンスが繰り広げられる。それで私はますますここが「見世物小屋」であるのだと再認識して震える。座席についてはまた後に書く。

座って開幕するのを待つ。上手にはポップコーンを持った4人のアンサンブルが微動だにせずブランコのようなものに座っている。あまりにも動かないので最初は蝋人形かと思ったが生身の人間であることがわかり驚いた。その奥には打ち捨てられた観覧車があり、下手には口をあけて転がっているピエロの頭。さらにメリーゴーランドを模した台の上にバンドがいた(客席で隠れて見えないが)。メリーゴーランドによくある馬の模型も置いてあった。舞台中央には椅子が無造作に置かれている。風が唸るような低い音も聞こえる。どうやらここは廃墟と化した遊園地のようである。上には裸電球がぶら下がっている。あと「HIT」と「MISS」の電飾。そして目の前にはゴーカート、こちらもずいぶん古い。中に青年が行儀悪く座っていて、いや、寝そべっていてバンジョーをかき鳴らしたり歌を口ずさんだりしている。このミュージカルの重要人物であるバラッディアーである。いきなりのご対面。今まで舞台に出演者が登場している状態で開幕するものを観てこなかったのですごく驚いた。なんなのここ、色んな意味で怖い。もう帰りたい。心臓足りない。こちらから見るとバラッディアーはやや背中を向けた状態でバンジョーを弾いていたので観察して「あ、耳の形がなんか好きだな。」とか変なことを考える。ハーモニカを吹きチューニングをした後、バラッディアーは立ち上がり小さなメリーゴーランドを模した玩具を持ってきて咳をしながら置く。メリーゴーランドに明かりがつき、回り始める。スネアの音が聞こえる。その音に合わせてバラッディアーが加わり、ミュージカル「Assassins」の物語は始まる。

詳しいあらすじや細かい演出について書き綴るときりがないので今回はミュージカルナンバーに沿って感想を書いていこうと思う。パンフレットに載っていたミュージカルナンバーはこのようになっていた。

・Opening - Proprietor and The Company
・The Ballad of Booth - Balladeer and John Wilkes Booth
・How I Saved Roosevelt - Giuseppe Zangara and Bystanders
・Gun Song - Sara Jane Moore, Leon Czolgosz, John Wilkes Booth, Charles Guiteau
・The Ballad of Czolgoz - Balladeer and Bystanders
・Unworthy of Your Love - Lynette Fromme, John Hinckley
・The Ballad of Guiteau - Balladeer and Charles Guiteau
・Another National Anthem - The Company
・Something Just Broke - Bystanders
・Everybody's Got the Right(Finale) - The Company


Assassins―狂気のミュージカル
ナンバーに沿った簡単なあらすじと鬱陶しいくらい長い考察
Opening - Proprietor and The Company
説明:暗殺者達が「誰にでも権利はある」と主張する歌
床に転がっていたピエロの口の中から大男が勢いよく出てくる。顔面はもはや原形ををとどめていない崩れたピエロメイク。調子のいい射的屋のオヤジといった感じはまったくなく息を切らして激しく歌い始める。もうホラーだろこれ。怖い。このピエロがプロプリエイターなのだが日本語にすると馴染みがない分読みにくいし、ややこしいので今記事ではピエロと表記する。バラッド歌手もバラッディアー表記に統一した。そのピエロが次々と登場する暗殺者達に大統領を暗殺するよう誘惑していくのだがその誘惑の仕方もヘラヘラしながらホイホイと誘惑するのではない。力強く、大声で脅すように暗殺者に訴えかける。しかしその言葉巧みな様子に暗殺者達は銃を次々に手にしてピエロと共に「Everybody's Got the Right」(誰にでも権利はある)と主張する。この「権利」とは一体なんだろうか?「幸せになる権利」「変われる権利」「夢を叶える権利」があると歌われているがどれも曖昧なものである。察しの良い方ならばもうお気づきかもしれないが、ここでいう「権利」とは「大統領を暗殺すること」である。独立宣言の理念である「生命、自由及び幸福の追求」の権利がアメリカンドリームの体現者である「アメリカ合衆国大統領」を暗殺する権利だと彼らは主張しているのだ。暗殺者達はそれぞれ立場、年齢、性別、職業、生きていた時代が違う人間で、各々が異なる願望を抱えている。その願望をピエロがまるで誘導尋問のように殺意へ変えていく。そもそも「暗殺」「殺人」はれっきとしたタブー(禁忌)であって大抵の人たちに「大統領を殺したい?」と聞いても「違う」と即答するはずだろう。人殺しなんてしたくないだろうから。でも「有名になりたい?」「成功したい?」「好きな人にこっちを向いてもらいたい?」とか聞かれたら「そうだ」と答える(思う)人は絶対いる。誰でもそう。彼らも同じ。
そこでピエロは誘導する。誘惑する。
「大統領を殺したい?」
「違う?じゃあ有名になりたい?」
「職がほしい?」
「大統領を殺せば有名になれるよ。」
「大統領を殺せば職が手に入るよ。」
「誰にでも『権利』はあるんだから。」
「幸せになりたいだろ?」
「大統領殺したいだろ?」
というように質問を繰り返されて彼らは、最後に思わず「うん」と答えて銃を手に取ってしまうのだ。それがアメリカ合衆国が保障する「夢を叶える権利」なんだと信じて疑わずに。その行動がどんな結果を起こすかも知らずに。もう1曲目からおかしい。狂ってる。自身の倫理観を1曲目からぶち壊してめちゃくちゃにされてから楽しい愉快な暗殺劇を私は観ることになった、谷底に突き落とされたような感覚を覚える。

帽子を被ってリンカーン大統領になったピエロが現れて自分の後頭部に的を貼り付けてブースに自分を撃つよう仕向けブースは暗殺を実行する。暗殺が成功し、赤い紙吹雪がパッと舞い散る。暗殺者達は狂喜し、ブースを賛美する。まるで舞台が終わって観客から拍手喝采を受ける役者のように賛美を受けるブースはとても誇らしげだ。


The Ballad of Booth - Balladeer and John Wilkes Booth
説明:暗殺者のパイオニアであるブースの逃亡劇、そして絶命までを描いておりブースの建前と本音が入り混じる皮肉のこもった曲。
ブースはそれはもうハンサムで綺麗で気品の漂う人物であるが、逆に言うと気取っていてどこか浅くて薄っぺらい。重みが感じられない。「何か隠してる(演じている)なこいつ」と思わせる。よってブースのバラッドで朗々と歌い上げて感情を露わにしているブースを見て彼の仮面が剥がれていくのを感じつつそれでも彼の本心は違うだろうと思う。どれだけ訴えられても私の心は動かなかった。それをバラッディアーが歌ってくれるのがいい。「くたばれリンカーン」と叫ぶブースを見てやっと彼の本音が彼の口から出てきたと思った。でもそれもバラッディアーと共に歌っているところなのでブースからすれば「私はそんなこと言っていない。」と言うんだろう。とっても「高貴なお方」だから。結局のところ、ブースも己の主張や主義を立派に並べてはいるが「評価されたい」と思っているだけの一俳優にしかすぎないのだ。大馬鹿だねブース。

暗殺者達の雑談シーン。どこか学校の休み時間のような雰囲気である。チョルゴッシュは瓶工場への恨みつらみを語るとブースは瓶を割ってみればいいと誘う。チョルゴッシュは割ろうとしてみるが、割らない。その瓶をブースが壁に叩きつけて割る。ザンガラがひときわ大きな声で呻き、腹痛を訴えて「何をしても治らなかった」と喚く。「じゃあルーズベルト大統領を暗殺してみては?」と勧める。軽い。ものすごく軽い。


How I Saved Roosevelt - Giuseppe Zangara and Bystanders
説明:暗殺に失敗したザンガラと暗殺未遂現場に遭遇した聴衆の歌。曲の最後にザンガラは電気椅子で処刑される。
人が何かを話すときに尾ひれをつけて話すのは仕方のないことだが大統領暗殺未遂の場に立ち会ったならそれはさらに増すことだろう。興奮気味に話すのもわかる。だが写真撮影のときにバッチリとポーズを決めていたり、インタビュアー(ピエロ)のマイクを奪ってまで話し、ザンガラの処刑時にさえチラリとも彼を見ない彼らは怖い。恐ろしい。私は腹痛から暗殺してやると銃を持ち、ルーズベルト大統領を殺害しようとするザンガラよりもザンガラを無視して「なんて名誉なことだ」と報道に答えようと熱狂する聴衆の見下げ果てた様子に底知れない恐怖を感じるのだ。彼らはきっと人の死ですら楽しむ。そしてその中にきっと私もいる。その恐怖に私は怯える。


Gun Song - Sara Jane Moore,Leon Czolgosz,John Wilkes Booth,Charles Guiteau
説明:「銃が世界を変えられる」と歌う曲。暴力そのものである銃を手に持った暗殺者達は「ちょっと人差し指を動かして引き金を引くだけで世界は変えられる」と銃が持つ力について歌い、銃に魅せられている。
暴力そのものである銃について軽く描いており、その軽さは銃の使い方(引き金を引くだけ)にも通じるところがある。誤射をして「あ、ごめん。撃っちゃった。」と謝るムーアに「ったくもう勘弁してくれよ」と少々嫌そうな顔をする暗殺者達。ここでも何かがおかしいと思わざるをえない。もし誤射で人が死んだらどうするのか。その手にあるのは玩具ではなく殺人道具であることを忘れているのではないか。とハラハラする。説教したくなる。だがそんなこと彼らは気にしない。明るくて軽い曲だからこそ、その歌詞の重さと、銃がもたらす暴力のギャップにやられる。その軽さにちょっと心惹かれる自分を見つけてすぐに奥に押し込めて閉じ込めておいた。私はそんな人間じゃない。


The Ballad of Czolgoz - Balladeer and Bystanders
説明:チョルゴッシュがマッキンリー大統領を暗殺する歌。彼の人となりが歌われる。
常に不安げな表情をしているチョルゴッシュ。母親とはぐれてしまった迷子の子供のようだ。マッキンリー大統領を殺害するときでさえ「これであってる?」みたいな顔をしている。暗殺者たちに賞賛されてやっと嬉しそうにするくらい。エマ・ゴールドマンがチョルゴッシュにとっての母親であり道しるべであり唯一神だった。アナキストが1人の思想家を崇拝するなんて面白いなと思う。1人の思想家を信じ、ついていくことは彼の信じるアナキズムと真っ向から反することだからである。どこが無政府主義者だ。エマが大統領選に立候補でもしたらお前は絶対投票するだろうが。と思うわけである。チョルゴッシュの起こした暗殺は親の愛情を求める子供が起こした暗殺。

ビックが出てきて自分の思いを録音機に吹き込む。最後にウェストサイドストーリーのアメリカを歌うとそれに合わせて暗殺者達が足を踏み鳴らす。急に舞台は照明で真っ赤に染まり暗殺者達は糸の外れた操り人形のように狂い踊って退場する。ここがものすごく怖かった。本当に怖かった。何故かはわからない。暗殺者達の狂っている様子に怖くなったのか、彼らに少しずつ共感していった自分が急に突き放されて怖くなったのか。本能的な感情で怖くなったのだろうとはなんとなくは思う。狂った空間に身が縮みこむほど恐怖した。


Unworthy of Your Love - Lynette Fromme,John Hinckley
説明:フロンミーとヒンクリーが好きな相手に「あなたの為ならなんでもする。死んでも構わない」と歌う曲。
1人よがりな愛を抱いているフロンミーとヒンクリー。どちらも性愛ではあるがフロンミーのものはもっと肉欲的でヒンクリーのものは崇拝的なものだ。「He fucked me」と言うフロンミーを見て「あ、セックスするってファックで言えるんだ」と学習する。学習せんでよろしい。私は人に対してここまでの想いをもったことがないので恋愛云々みたいな話になるとなんとも言えないが、なんというか「この人たちイタいな…。」と思った。フロンミーがチャーリーとセックスしようがキスしようがヒンクリーがジョディに歌を贈ろうが「あーもうこれ意味ないよー。絶対振り向いてくれないやつのパターンだよー」と思う。恋愛至上主義者の人がこのシーンを見てどう思うのか聞いてみたい。好きな人の為に大統領を殺せる?


The Ballad of Guiteau - Balladeer and Charles Guiteau
説明:ギトーがガーフィールド大統領を暗殺して死刑台に上り、絞首刑になるまでの曲
脚立に上ったり下りたり、端に足をかけて滑り台のごとく滑って遊んでみたり、ギトーのしていることは幼稚園児のしていることとそう大して変わらない。幼稚だ。落ちたりしないのかと勝手に心配する。いきなり高尚な歌が楽しげな歌になったり小躍りしたりとギトーは落ち着きがない。そのまま陽気なギトーは首を吊られて絶命する。絶句する観客。が、数秒もすると笑顔でまた踊りだす。ドッと笑う観客。思わず私も笑ってしまった。ブラックジョークこの上ない。


ムーアが犬を誤射で死なせてしまうわ子供(ピエロの操る人形)を連れてくるわでムーアの不器用な部分が強調されるシーン。ここでピエロが「アイス買って!アイス買って!アイス買ってよおぉ!!」と駄々をこねる子供を人形を使って表現するのだが中の人のネタで嬉しくなる(サイモン・リプキンはミュージカル「アベニューQ」に出演。パペットを使ってパフォーマンスしている)。
「アイス!アイス!買ってよおおぉ(顔面をガンガンとピエロ顔に打ちつける)」
「ねえってばああぁぁ(顔面をズリズリとピエロ頭に擦りつける)」
おいおい…やりすぎだろ…。と思いつつ爆笑させてもらう。面白いものは面白い。自分がピエロ頭に顔面を打ちつけるところをちょっと想像して自分のおでこがヒリヒリしそうになった。痛そう。


ビックが録音をし続けている。彼はゴーカート(車)に乗って空港へ向かうが間に合わず飛行機は飛び立ってしまう。空を見上げる暗殺者たち。実に虚しい。


Another National Anthem - The Company
説明:暗殺者達の鬱憤についての歌。自分たちはもっと評価されてもいいはずだ。なのに誰も聞いてくれない!誰も!と歌う。バラッディアーの辛辣な皮肉が最高潮になる。本ミュージカルにおいて1番鬼気迫っている曲。欲望を喚き、叫び、円陣を組んで一丸となった暗殺者達に最初は調子よく皮肉をこめて歌っているバラッディアーも気圧される。その勢いのままバラッディアーは暗殺者達に取り囲まれ、服を脱がされ、帽子を取られオズワルドに変身させられてしまう。時代が変わりケネディ大統領暗殺のあの日になる。
鬼気迫ると書いたがもっと怖い。ヒステリーを起こした女性よりも怖い。例えるなら顔面、体中を血塗れにした人間が「助けて!!お願いだから助けて!!見ればわかるでしょ!助けてよ!!」と魂から叫んでいると言えばいいのか。やめてくれ!と耳と目を塞ぎたくなる。いや、もう体中の感覚器を麻痺させたい気持ちに駆られる。怖い。怖い。心臓を彼らに握られ今にも潰してやると脅されている感覚。


オズワルドがケネディ大統領を暗殺したときに舞い散る赤い紙吹雪の量は他の暗殺が成功した時の比ではない。土砂降りのように大量の赤い紙吹雪が降る。これはケネディ大統領が流した血だけではなく国民が流した血の涙である。アメリカ合衆国の歴史に残る永遠の敗北。達成感と共に倒れるオズワルドはその血に埋もれて顔も、姿もすぐに見えなくなる。


Something Just Broke - Bystanders
説明:ケネディ大統領が暗殺され「何かが変わってしまった」と国民が歌う。手には最初に出てきたメリーゴーランドの玩具がある。
静かだ。だがそれは喪に服した静けさではない。ぽっかり胸に穴が空いたというよりも、その胸ごと失った感じ。ケネディ大統領を失った彼らは静かに歌う。


Everibody's Got the Right(Finale) - The Company
説明:ケネディ暗殺に喜ぶ暗殺者達がもう一度「誰にでも権利はある」と歌う。そこにはオズワルドもいる。
血を踏みにじり、足で踊り撒き散らし喜ぶ暗殺者達。狂ってる。ピエロ頭の方をみるとオズワルドとピエロが上に座り、仲良さそうに話している。 相反していたはずの2人が隣にいるのを見て「うわー!そういうことか!やられた!」と頭を抱える。負けた。決定的に負けた。ぐうの音も出ない敗北感。暗殺者達が観客に銃を向けて今にも引き金を引きそうな緊張感のままミュージカル「Assassins」は終わる。銃声はない。それはこう言っているようにも思えた。「この引き金を引くのはお前だ。」と。


あのとき、私は確実に引き金を引いて誰かを殺した。


ロンドンリバイバル版で感じたこと-この作品が現代においてどんな役割を担っているか
このミュージカル(Assassins ロンドンリバイバル版)が示すものはそれを観ている観客自身がどのキャラクターにも成り得るという危険性である。ピエロは暗殺者達を誘導し、大統領として殺害され、執行人として暗殺者を処刑する。アンサンブルはその手助けをするかのようにクルクルと姿を変えてピエロを支える。暗殺を実行する暗殺者達は自分たちの願いを叶えるために動く。バラッディアーはそれをあざ笑う。
ピエロ、アンサンブルは「社会を構成する私」であり、暗殺者達は「将来の何かを起こす危険性のある私」であり、バラッディアーは「それらを冷静に見て馬鹿にする私」である。どのキャラクターにも「私」を構成する物が含まれている。つまりこのミュージカルにおいて「私」はどこにでもいる。
今まで暗殺事件や残虐な事件を起こす人物は私には理解できない考えの持ち主で自分とは違う種類の人間だと思っていたが実はそうじゃない。彼らも私と同じ人間で私と同じような願望を持っていてそれを求めている。同じ心を持つ人間だ。私だって願望はある(暗殺者)。でもSNSや異様に騒ぎ立てるマスコミ、社会の声(ピエロ、アンサンブル)の中にも私は確実に存在している。それだけではなくその様子を馬鹿馬鹿しいと冷たい目で見る私(バラッディアー)だって今この場所に存在するのだ。私という1人の人間は「殺人を許すな」だから「死刑にしろ」という矛盾した社会を構成している一部だ。
この矛盾はピエロの行動にも表れている。最初のピエロがピエロの口から出てくるのは彼が社会の闇を具現化した存在だからである。死刑制度、ネット炎上、戦争、といった矛盾した「正義」と名のつくものは世界各地で起こっており、それを構成しているのは個人の妙な正義感、悲しみ、怒りである。これらのことを考えると、そのピエロの口に入っているのは我々である。この劇場に入る前私が何をくぐったのか思い出してほしい。そうピエロの口だ。ではついでにもうちょっと思い出してほしい。劇場にはいったら誰がいた?微動だにしないアンサンブル、そしてバラッディアー、暗殺者達。もうそこに彼らはいた。そこに私もいた。あぁ、そうか。この狂った世界を形成しているのは私なのだ。
「愛されたい」「有名になりたい」「評価されたい」と思い、願う暗殺者達も私で、誘導して行動を起こさせるのも処刑するのも私、呆れながらも彼らに付き合うバラッディアーも私である。ピエロ、バラッディアーは相反した存在であり、それは劇場の横に長い舞台を上手く使って表現されている。「HIT」を求めるピエロはその電飾のある下手によくいてバラッディアーは「MISS」を求めておりピエロとは逆の上手によくいて、その対比は個人の中にある倫理観や衝動を暗喩している。しかしピエロとバラッディアーが最後に笑顔で仲良くしているのを見て、その相反した存在は個人の中で共存していることをほぼ暴力的なまでに音楽の力と演出の力を持って認識させられるのである。要は「お前だって大統領を殺したいだろ?」という決して認めたくはない感情を胸の奥に手を突っ込まれてひきずりだされてしまい、罪悪感に悶えながら納得して、血を吐きながら己の中にある殺意を認めるしかないのである。参った。降参。

廃墟と化した遊園地をコンセプトにすることによって「誰もが暗殺者に成り得る(Everybody's got the right)」ということが強く出ていたと思う。遊園地ならば若い女の子、子持ちのおばさん、青年など、どの職業、どの年齢層の人がいてもおかしくない。階級のない自由と平等の場所だ。アメリカ合衆国をメリーゴーランドが表しているのはその名の通りクルクル回っているから。つまり「同じことが繰り返されている」からである。打ち捨てられた観覧車、ブランコ、ゴーカートも同じコースを永遠と回るものだ。アメリカでは大統領暗殺が繰り返されてきた。そしてそれは例え形が変わったとしてもこれからも続けられるのだろう。また、遊園地はアトラクションを楽しむところでその楽しみは即時的だ。一瞬で過ぎ去る快感は銃の引き金を引いて得られる快感と似ているものがある。


キャスト評
サイモン・リプキン(ピエロ)
思ったより1.5倍くらい大きかった。そして思ったよりも30倍くらい怖かった。人間びっくり箱だよもう。必要以上に感情を露わにして暗殺者達の心情を表現し、次々と役割をこなしているその姿に舌を巻く。ロンドンリバイバル版で一番演出、解釈が変わっているのはピエロだがよくぞここまでやってくれた!と褒め称えたい、

ジェイミー・パーカー(バラッディアー/リー・ハーヴィー・オズワルド)
小さい。小さいゴーカートの中にちんまりと座っているバラッディアーを見て「いるならいると!何故言わないの!!!!」とちょっとだけキレそうになったが(理不尽)彼は悪くない。バラッディアーの冷めていていつも呆れた様子が好きだ。見た目とはギャップのあるざらっとした声で歌う彼のバラッドの数々はすごく皮肉が効いていて素晴らしい。なおかつバンジョーの生演奏も大変なものだろうと思う。オズワルドの暗殺実行のシーンで床に倒れこむ彼を見て凄まじいと感じた。彼の演技には凄まじいものがある。こう感じたのはジェイミー・パーカーが初めてでこのままだったら「いい役者だった…!!」と奥歯を噛み締めながらこっそり静かに応援しようと思っていたのだが例のフォトボムで全部持っていかれた。というかロンドン旅行全部持っていかれた。あと着やせするタイプで脱がされたときは個人的にめちゃくちゃテンションあがった。上半身…!腕…!!

アーロン・トヴェイト(ジョン・ウィルクス・ブース)
私は彼のファンであるがそれを抜きにしても良かったと思う。彼の恵まれた容姿はブースのいかにもな「俳優っぽさ」によく合っていたし、ブースの浅さ、軽さを理解できたのは彼の演技力があったからである。彼の歌う高音は伸びがよく、聞いているこちらも気持ちよく安心して聞くことができる。初見がA1で入口から舞台に入ってくるブースを見たときに頭が真っ白になった。美しく、私には彼に後光が差していると思った(実際照明で後ろから照らされていたのもあるが)。そして大体上手側にいるので彼がこちらへ来るたびに私は死にそうになって息が出来なくなってあれ、まばたきってどうやってやるんだっけ状態になった。椅子に片足をかけてる超絶イケメン俳優が30cm前にいるんですよアナタ。死ぬしかない。ブースのバラッドのあとに両手をつかって乱れた髪をなでつけて直していたのがめちゃくちゃかっこよかった。あとブランコに座る前にさっと手で埃を払って座るところとかもう書き出したら終わりがないのだが、とにかくかっこよかった。まつ毛長い。

カーリー・バーデン(リネッテ・Squeaky・フロンミー)
美少女!!可愛い!小さい!美少女!お人形さんみたい!可愛い!ほんっとに可愛い!

ステュアート・クラーク(ジュゼッペ・ザンガラ)
ザンガラお腹痛いねーうんうん。と言いたくなるくらい常にお腹痛そう。いや、演技なのはわかるんだけど。なかなか好みの顔。かっこよかった。椅子で感電死するときにガクガク震えるのはあれどうやってやってるんだろう…。

マイク・マクシェイン(サミュエル・ビック)
貴方がハンバーガーの袋を私に投げつけたのは忘れないであろう(もちろんいい意味で)。彼の演じるビックが持っている泣きたくなるくらいの虚無感と煮えたぎる怒りをよく感じることができた。

ハリー・モリソン(ジョン・ヒンクリー)
メガネが似合わない!そこがオタクっぽくて逆によかった!

アンディ・ナイマン(チャールズ・ギトー)
「狂う」というものを一番色濃く出していた人。とち狂ってたなー。A1のときに待機するナイマンさんのお腹が時々背中に当たって申し訳ない気持ちになった。ナイスメタボ

デビッド・ロバーツ(レオン・チョルゴッシュ)
表情の演技なら彼が一番印象に残ったかもしれない。申し訳なさそうにしょんぼりしている大の大人。

キャサリン・テイト(サラ・ジェイン・ムーア)
稽古場写真を見るとかっこいい大人の女性!といった感じだったが舞台上ではしっかりおばちゃんおばちゃんしてた。さすが。

エマ・ゴールドマンの人も綺麗だったしアンサンブルもよかった!少数精鋭。


座席について
私が見たのはA1(1回目)とB7(2回目)である。

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こことここ。両方とも入口側だったので奥側で一度見てみたかった。また、A1だと最前列で美味しいことは美味しいのだが「MISS」の電飾が見切れたりする。あと近すぎると自分と役者の間で第4の壁が形成されずにハラハラしてしまう。2回目のB7は安心して物語に集中して観られた。もう何回か見るなら入口側の中央と奥側の中央のチケットをとるかな。A1でよかったのは最後の赤い紙吹雪が自分の膝の上にも積もったこと。B7でよかったのは最後の銃を突きつけられるところでオズワルドに銃を突きつけてもらったこと。まあ結論からいえばどちらも良い席だった。

おわりに
ミュージカル「Assassins」(ロンドンリバイバル版)はソンドハイムの素晴らしい音楽をジェイミー・ロイドが現代に合わせてこれまたとても上手く演出しており、作品の中に渦巻く狂気と殺意をこれでもかというくらい私達の心にぶつけて殴って、私達の中にある闇を引きずり出してくる。

このミュージカルを観ることは己が持つ暗闇に対峙することであり同時に耐え難い苦痛を伴う。しかし人はタブー(禁忌)に惹かれる。銃の魅力にとりつかれている暗殺者達と同じように私達もまた、彼らにどうしようもなく惹かれているのだ。

今旅行でのベストミュージカルだ。本当に素晴らしかった。

参考図書:
「世界文化シリーズ③ アメリカ文化 55のキーワード」(2013)
編著者 笹田直人、野田研一、山里勝己