City of Angels (2014年12月22日ソワレ、23日マチネソワレ)


観ることなった経緯
私の大好きな女優、サマンサ・バークスが出演すると知り、彼女のミュージカルでのパフォーマンスを是非見たいと思ったから。渡英を決意したのも彼女目的である。チケットは22日ソワレ、23日マチネを取っていたがSDの都合で23日のソワレも取ることになり、計3回観劇した。


注意:
ネタバレしてます。ご了承ください。キャストについての感想は後半部にあります。


マチルダを上演している劇場のすぐ近くにあったので難なく到着。中にあるボックスオフィスでクレジットカードを提示してチケットをもらう。チケット受領時に書くサインを英語で書いてしまい「裏側に書いてある名前(漢字)で書いて。」と言われてしまい、慌てて書き直した。

あらすじ:舞台は1940年代のハリウッド、小説家スタインが書く、初の映画脚本「City of Angels」とその主人公である探偵ストーン。スタインの「現実世界」と彼の創作物である映画の世界「虚実世界(フィクション)」が互いに相互作用を起こし、最後にはストーン(フィクション)が自分たちにとって都合のいいように現実を書き換えてしまうという話。

このミュージカルの見どころは何と言ってもスタインの生きる「現実」とストーンの生きる「映画」という2つの世界が同時進行していくところである。しかも現実世界の人物(俳優、女優)が映画世界にも違うキャラクターで登場するのが面白い。現実世界はカラーで、映画世界はモノクロで描かれている。この演出コンセプトはブロードウェイオリジナル公演のときからのものだ。簡単ではあるが、本ミュージカルの予習をしていた私はドンマーウェアハウスという収容人数の少ない(小さい)劇場でどのようにこの「カラーとモノクロ」を描くのだろうかと楽しみにしていた。劇場が大きければ舞台セットを作成していけばいい話だが小さいとそうもいかない。では本公演の演出家はどのようにしてこの問題を解決したのか。答えは4つ。衣装、小物、照明、それとプロジェクターである。「なんだ、プロジェクターか。」と少々がっかりする方もおられるかもしれないが、このプロジェクターを多用した演出はとても素晴らしかった。プロジェクターと聞けば学校や会社などで小さいスクリーンにパワーポイントやら資料やらをばんやりと映し出すものを思い浮かぶ方も多いだろう。だが今回の演出はどちらかというとプロジェクションマッピングであり、CGがステージ丸ごとを覆い尽くして演出するのである。スタインがタイプライターに向かっているときには文字がステージを覆い、スタインとストーンが自分たちの世界の主導権を争って攻防を繰り広げる「You’re Nothing Without Me」ではカラー世界とモノクロ世界がまるでテレビゲームのように鮮やか面白く、2つの世界の境界線があちらへ行ったりこちらへ行ったりして見ていて楽しい。だが、この演出にも少々難があった。この演出を満喫できるのは正面の座席に限られるのである。プロジェクターを使用していることにより大規模な舞台セットを使わずに2つの世界を演出することは可能にはなったが、横から観ると歪んで見えるため、せっかくの演出も「何かよくわからないもの」に成り下がってしまうのである。特に、最初のキャラクターが次々と出てくるプロローグのシーンではキャラクターのシルエットが映し出されてからそのキャラクターが補完する形で登場するのだが、横から見るとシルエットが歪んでしまい、かっこいい登場シーンの魅力もやや減ってしまうのだ。ステージを3方向から鑑賞するドンマーウェアハウス特有の問題かもしれない。よって鑑賞し終わった後に「これって大劇場(もしくは縦方向に座席が配置されている劇場)向けの演出なんじゃないか?もしかしてそれを見越した演出なのか?」と思った。つまり「今回の公演は実験公演であり、本来の目的は劇場を引っ越しての公演なのかもしれない。」ということだ。確かにドンマーウェアハウスは実験公演が行われることも多いと聞く。実験公演にしては、キャストが豪華すぎるので考えすぎかもしれないが…。照明演出も効いておりモノクロ世界では影と光の明暗がよくわかるようにグレーがかったライトでカラー世界では色を意識したのかオレンジのライトが使われていた。小物、衣装もモノクロ、カラーを強調するようなものとなっている。映画世界のウーリー(ストーンの助手)がドナ(映画会社の社長の秘書。2人を同じ女優が演じる)へと変身するとき、彼女はグレーのガウンを脱いで鮮やかなピンクのネグリジェ姿へとなる。一瞬で世界を移動する華麗なる変身である。しかも脱いだグレーは裏返しにされて椅子にかけられており裏地は水色でありカラーだ。見事。

だが、初演当時ならともかく、モノクロ放送やモノクロ映画に親しんできた人達は本公演の観客に一体どれくらいいるのだろうか?私は「映画」と聞いても「テレビ」と聞いても浮かぶのはカラーの映像ばかりである。


キャストについて

ハドリー・フレイザー(スタイン役)

歌がとても上手い。いやー、上手かった。生で聴けてよかった。劇場を満たす良い声。耳福だった。そして歌もいいが、コミカルな演技もよく似合っていた。「It needs work」で煙草を取り出そうと煙草の箱を振ってバラバラと煙草をまき散らせてしまうところが好きだ。映画「レ・ミゼラブル」や「オペラ座の怪人 25周年記念公演」「レ・ミゼラブル 25

周年記念公演」の彼のシリアスな演技しか知らなかったため、彼の演技の幅が広いことを実感する。あの歌声を聴くためにまた渡英したいと思うほど。ダンス頑張って


タム・ムトゥ(ストーン役)

小説から抜け出した探偵ストーン。彼ほどぴったりの役はいなかったのではないだろうか。高身長で「ハードボイルド」をまんま体現したような顔つき。渋くてかっこよかった!ハドリーと声質が似ているので2人のデュエットもよく調和していたのもよかった。殴られたり机から床に転げ落ちたりしているので身体の心配をしてしまう。サロンパス送ってあげたい。美女たちと色んな絡みをしていて役得すぎる。すごく羨ましい。


ロージー・クレイグ(ギャビー/ボビー役)

「大人の色気とはこういうことか」と思わず唸るほど美しかった…!!美しい人は目を引くというけれどまさしく彼女のことを指すのだろう。


キャサリン・ケリー(カーラ/アローラ役)

細い。足細い。アローラをあそこまで笑えるキャラクターにしたのはすごい。主にテレビで活躍している女優らしいがテレビでの彼女も見てみたい。


レベッカ・トレハーン(ウーリー/ドナ役)

完全にノーチェックだったが、彼女の演じるウーリーとドナがこのミュージカルで1番好きなキャラクターとなった。片思いを秘めつつ「いつでも私を頼ってよ」と歌い上げ、ドナとウーリーのやるせなさや切なさまで表現できていたのが印象に残った。 


サマンサ・バークスアヴリル/マロリー役)

セクシー小悪魔なマロリー。鼻血出そうになるほど可愛かった…。あまりにもスタイルが良いのでリアルバービー人形かと思う。出番が少なくて残念であった。ソロの歌唱シーン1曲だけであったが彼女の歌声を聴くことができた。曲の最後にストーンを押し倒して顔を限りなく近づけたまましばらくいるのだがあれ気まずくなったりしないのかな。ときどき喋っていたけれどあの距離感で一体何を話しているのか気になった。可愛かった…。


ストーリーについて

先ほど書いたあらすじがこちら

舞台は1940年代のハリウッド、小説家スタインが書く、初の映画脚本「City of Angels」とその主人公である探偵ストーン。スタインの「現実世界」と彼の創作物である映画の世界「虚実世界(フィクション)」が互いに相互作用を起こし、最後にはストーン(フィクション)が自分たちにとって都合のいいように現実を書き換えてしまうという話。


もう少し書くと探偵であるストーンがある依頼をされて事件に巻き込まれていき、その側らでまたスタインも映画製作と脚本の間で悪戦苦闘する話なのだが(あらすじのまとめはこちら)なんというか、このストーリー。観終わってもモヤモヤが残るのである。ストーンがスタインのタイプライターを使って二人に都合のいい「ハッピーエンド」を書き上げてこのミュージカルは幕を閉じる。ちょっと待てと言いたい。「じゃあ最初からストーンにタイプライター使ってもらえば何もかも穏便に済んだ話じゃないのか?」ということになるわけで。なおかつ「タイプライターが現実さえも書き換える力を持つ」ことについて物語上では何も触れられていないわけで。「いくらなんでも最後に全部持っていくとか都合よすぎるだろ」となるわけで。しかもここでいう「ハッピーエンド」はスタイン、ストーン2人にとっての「ハッピーエンド」であり他のキャラクターはハッピーエンドか?と言われると必ずしもそうではないだろう。たとえハッピーエンドだったとしてもそれはキャラクター達の気持ちさえ書き換えられているからである。「虚実のハッピーエンド」だ。
もう少し掘り下げてみよう。この物語ではスタイン、ストーンが2人を取り囲む女性達に振り回されている図になっているが実際に振り回しているのはスタイン、ストーン自身である。振り回された女性達は彼らに愛想を尽かせて彼らの元から去る。当たり前と言えば当たり前である。これを良しとせず彼らは書き換える。おかしい。ハッピーエンドといいながらこれは結局エゴイズムの塊ではないか。

ぶっちゃけると、ここまでの素晴らしい演出、素晴らしいキャストを揃えることができるなら他の演目をしてくれればよかったのではと思ってしまった。1940年代の映画業界、ドゥーワップ、カラーの現実世界、モノクロの映画世界の行き来、攻防。うん、よかった。だがラストが釈然としない。現代に合わない。もうラストシーンが終わってからスタインがタイプライターのある机に突っ伏して寝ていてギャビーが起こしに来る。みたいな夢オチでもよかった。

繰り返し書くが、演出もキャストも良かった。見ごたえのあるシーンもあったしキャラクターをこってりと彼らが演じることによって笑える部分も多々あった。歌もよかった。ただラストにおける物語の筋の崩壊と矛盾に私はううんと頭を悩ませてしまうのである。3回も観ておいて何を言うという感じではあるが。