最近見た映画とかのログ(途中)


お久しぶりです。今日の私は少し元気です。
去年の今頃は人間関係とかバイト先のあれやこれやで精神病んでからの身体壊してました。
人間我慢するとロクなことがないです。適当でよかったのよ…。

ではざざっと雑記(なんかダジャレみたいになってしまった)

自分向けメモなのでいつものごとく変な感じです。
物語の核心に触れるようなネタバレはしていません。



1.ビリー・エリオット・ザ・ミュージカル(01/31鑑賞)

名作映画「リトル・ダンサー」のミュージカル。舞台の映像化作品だが映画館で鑑賞したのでここに記す。
あらすじはひょんなことからバレエダンサーを志す男の子ビリーが奮闘するというもの。年代は「鉄の女」と名高いマーガレット・サッチャー時代で鉱山ストなどの社会問題も描かれている。確かマーガレット・サッチャー目線で撮られた映画があったような。それも見たい。
とにかく最初から最後までダーダー泣いてた。胸元が自分の涙でグショグショになるくらい。
主人公ビリーの溢れ出る踊りの才能と、その引力に惹きつけられて少しずつ変わっていく周りの大人たち。ビリーの踊りへの情熱は彼自身でさえコントロールできない程で、狂ったように踊り続けるパフォーマンスのシーンでは感動を通り越してもはや彼の狂気に慄いた。ビリーの狂気なのかバレエの神様の狂気なのかはわからないが。映画のビリーとバレエの先生の娘との恋愛関係が好きだったので期待していたのだがこちらの描かれ方は比較的あっさりしていた。逆にビリーと親友の男の子(女装好きなゲイの男の子)の恋愛関係は深く描かれていてとてもよかった。同性でも異性でもああいう「完成された片想い」ってどうしてこんなにも胸が絞めつけられるのだろうか。現在ミュージカルの映画化計画が進んでいるようで楽しみだ。


現在日本語版DVD&ブルーレイ発売中




2.欲望という名の電車 (03/9鑑賞)

Ntlive(ナショナルシアターライブ)という舞台を全国の映画館で観れる!というもの。素晴らしい!
上と同じように舞台作品ではあるが映画館で観たのでこちらに書く。

(NTlive公式サイト:http://www.ntlive.jp/

世界の見逃せない舞台を、もっと身近に映画館で。演劇界最高峰のロイヤル・ ナショナル・シアターが、 世界で上演された舞台の中から特に話題となった最高の舞台 を映画館へお届けする"ナショナル・シアター・ライヴ"

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原題:A Streetcar Named Desire
ヴィヴィアン・リーマーロン・ブランドが出演した映画版(51年)でも知られるテネシー・ウィリアムズの名作に、アメリカ人女優ジリアン・アンダーソンが挑戦。 没落した名家の令嬢ブランチがたどる悲しい末路を体現する。
(公式サイトあらすじより)

おそらく現代風にアレンジしたのであろう舞台のセットやキャラクターの解釈に初見の私はところどころ疑問を感じてしまった。没落した令嬢のブランチはただの酒飲みの下品な女にしか見えないことも多く、上から泊まる術も知らず下へ下へと転げ落ちていく堕落感はやや薄れてしまっていたように思う(もちろん上流階級だろうが下流階級だろうがあのような状況は痛ましいものではあるが)最初のブランチがトイレで嘔吐するシーンで大音量のBGMが鳴り照明が一気に青になる演出があるのだが、あのとき彼女は何を吐いたのかが気になった。少しばかり残っていた正気なのか、名家の令嬢としての誇りなのか。それとも別の何かなのか。



3.博士と彼女のセオリー(03/24鑑賞)
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主演のエディ・レッドメインアカデミー賞主演男優賞を獲得した作品
「ホーキンズ博士と彼を支えたパートナーの物語」と書けばその通りの映画だが、この「支える」という表現はどこか虚構的な美しさをくっつけるので困ったもんだ。存命する博士を映画として「撮る」のは難しいことで、しかも映画の原作は元妻が書いたというもの。ホーキング博士が生きている現実と映画としての面白さや美しさを上手くミックスした作品だった。ラストシーンが数学っぽくてとても好きだ。あと最初の2人のデートシーンで彼が日常を科学的観点から見て彼女に説明をする。というシーンがあるのだが(確か男性用のシャツがブラックライトの下で光るのは何故か?といった内容だったような)、そのシーンを終えて2人は一緒に空に打ち上がる花火を見る。ここが上手い。少なからずの人々がこのシーンを見ながら思ったはずだ。
「あ、放物線!炎色反応!」と
我々を少しだけ理系な気持ちにさせてくれる仕掛けだ。上手い。



4.バードマン あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡


あらすじ:かつての映画スターがブロードウェイデビューします。頑張ります。


オールワンカットが話題になったりアカデミー賞作品賞取ったりした映画。BGMで使われているドラムがとにかくかっこいい。主人公の虚しさや焦燥感など感情の揺れ動きを音楽で、しかもたったひとつの打楽器で表現しているのがまたかっこいい。何が現実で何が虚実なのか最初から最後までわからないような作りになっており、「映画」「舞台」「俳優」がその境目を行ったり来たりする存在なのだと改めて納得させられた作品であった。少しずつ変化しながらも毎日繰り返される舞台の舞台裏は、さながら三途の川のようである。あちら(虚実)とこちら(現実)の間で迷う主人公の苦悩と彼の代弁者である幻聴(バードマン)の不可思議な共存、主人公の持つエスパーの意味など考えれば考えるほどよくわからなくなる作品であるが同時に自分の中にある何かを惹きつけてやまない作品である。あと大事なことなのでもう一度言っておくがドラムがかっこいい。

5.イントゥ・ザ・ウッズ



あらすじ:「そして幸せになりましたとさ。めでたしめでたし」ってそんなわけねーだろ!


ミュージカル界の巨匠ソンドハイムによる同名ミュージカルの映画化。童話の主人公(シンデレラ、赤ずきんジャックと豆の木、魔女、ラプンツェル等)達がぞろぞろと出てきて森の中で何か色々するよ。メリル・ストリープの魔女が驚異的なまでの演技力で(しかも歌も上手い)「善と悪の違いって何よ?」と私達の倫理観をぐらつかせてくれる。昨年、映画「マレフィセント」も公開されていたがこの二つをディズニー社が製作する意味とはなんだろうとずっと考えていた。セルフパロディーにしては毒が強すぎる。映画「マレフィセント」については「アナと雪の女王」とセットで「現代女性の社会との関わり」について語られることが多いが、ここでは割愛する。映画「マレフィセント」は「眠れる森の美女」の悪者(魔女=マレフィセント)の裏話を描き、「イントゥ・ザ・ウッズ」もハッピーエンドの裏にある物語を描いた作品だ。そこで私が感じたのはディズニー社の「親殺し」である。ここでいう「親」とはもちろんディズニー社の生みの親であるウォルト・ディズニーのことである。彼が作り上げた作品、世界観はどれも素晴らしく、美しく、温かい。今日での、いわゆる「ディズニー・クラシック」がそうである。親(ウォルト・ディズニー)が子(観客)の為に作った作品を子達は愛した。子は成長する。大人になる。当たり前だが人間は変化するのだ。「世の中はハッピーエンドでできている」と夢見る時代はもはや終わってしまったのか。ディズニー・クラシックの時代はまだ癒えきっていない世界大戦の傷を人々が抱えていた時代でもある。そう考えると「ハッピーエンドではないエンディング」を求め、それを製作したディズニー社と共に生きる私たちはある意味幸福(ハッピーエンド)の中に生きているのかもしれない。

夢野久作の言葉をここに置いておく

中世以前は至る処戦争ばかりで恐怖と戦慄の時代であった。
だからその時代の芸術作品には平和と幸福の賛美に類するものが多かった。
之に反して現代は幸福と安定の時代である。
だからその芸術作品に恐怖と戦慄が求められるのは当然である。
(1936年、夢野久作

あとラプンツェルの「親殺し」についてだとか(恋をして母親から独立しようとする少女とそれを阻止する母親)、森というモチーフについてだとか(森は娼婦の居場所だったり「秘密」のことが行われる場所でもある)挙げればキリがないが、実力のあるキャストとソンドハイムによる音楽、ストーリーは素晴らしかった。が、ストーリーの割に演出がぬるいなと思う箇所がいくつかあった。おそらく多数の人々が鑑賞する前提で製作された為、少しその辺を躊躇してしまった。その結果がこうなのだと思う。

バカ王子兄弟が可愛い。


6.シンデレラ
7.Ntlive スカイライト
8.タンジェリン
9.裁判の行方
10.ひつじのショーン バック・トゥ・ザ・ホーム
11.バケモノの子
12.HERO
13.マッド・マックス 怒りのデスロード
14.アベンジャーズ・エイジ・オブ・ウルトロン
15.ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール
16.おおかみこどもの雨と雪(テレビ放送鑑賞)
17.ショーン・オブ・ザ・デッド
18.ナイトメア・ビフォア・クリスマス
19.ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン
20.パーカー
21.宝島(NTlive)

(さらに増えた)