私がピンクと和解した日



あなたは「ピンク」と聞いて何を思い浮かべるだろうか。桜、桃の花、春、チューリップ、リボン、お人形、チーク、リップ、ひな祭り、恋愛、いちごミルクなどなど。各個人で思い浮かべる「ピンク」があるのだろうと思う。

長年「男の子はブルー、女の子はピンク」という商業イメージからきた呪いについて議論がなされていたり研究されていたりで「性別関わらずピンクでも何でも好きな色を着ればいいじゃん!」と声高に主張している人達もいて、映画業界では「ダサピンクの呪い」と呼ばれる女性向け(と思われる)映画広告が可愛らしいピンク、または恋愛要素を前面に出しているものが多くなっているという問題がある。

誰しもが色の選択の自由を手に入れているが、まだまだ世間は「女の子はピンク、男の子はブルー」というイメージから抜け出せていないと思う。女性向けの小さめマスクはピンク色で販売されているし。では、ここから私の個人的な話をする。

私が「ピンク」と聞いて思い浮かぶのは「ピンクちゃん」という1人の女の子である。

彼女は私の頭の中にある「ピンクから連想されるイメージ」の集合体であり概念の擬人化でそれはもう具体的に想像できる。髪はセミロングからロングでツヤツヤサラサラで時の場合によりけりだがふんわりと巻いていることが多い。丸顔の可愛らしいが美人すぎない顔立ちをしていて常にニコニコしている。身長はきっと158cmくらいかそれ以下でヒールを履いても男性の身長を抜くことなんてきっとない。ピンクちゃんは勉強もスポーツもそこそこできるが、決して出来すぎることはなく、出しゃばることを良しとしない性格で男性を立てて自分は一歩引くような大和撫子で趣味はカフェ巡りとかお菓子作りとかできっと料理も上手。良妻賢母の名に相応しいような人になるのだろうと思う。今まで恋人を切らしたこともなく友人も多いに違いない。性格だって控えめではあるが明るく天真爛漫で誰にでも優しい人だ。甘え上手という小悪魔な一面もあることだろう。もちろん好きな色はピンクである。かといって全身をピンク色で身を包むような林家パー子さんのようではなくてセンス良くピンクのスカートとかワンピースとかを着こなす素敵女子だ。大体の人間には好かれるが一部の人間には何故かわからないけれど嫌われる女の子だ。可愛らしい素敵な人だ。世間一般でいう「女の子らしい」が服を着て歩いているような優しい女の子だ。

私はこのピンクちゃんがずっとずっと大嫌いだった。嫌悪していた。差別していたと言っても過言ではない。

いつからはわからないけれど物心ついたころ頃からピンクとそれにつきまとう概念が大嫌いだった。ドラえもんに出てくるヒロインしずかちゃんはピンク色のワンピースをよく着ていたしクレヨンしんちゃんに出てくる女の子ネネちゃんもピンク色の服を着ていた。ゴレンジャーでヒロイン(何故か妙に弱い)はピンクのスーツを着て悪者と戦っていた。「『女の子』は可愛くて優しくて好きな色はピンクなのよ」というイメージに気づいたら取り憑かれていた。呪いの出来上がりである。

年齢を重ねるにつれて周りから無言の圧力で求められる「女の子らしく」に常に反発するようになった。自分の意見は主張するし嫌なことにはNOと言える人間でいなければならない。「女だから」「女性だから」に負けてはいけないのだとそう信じて生きてきた。ピンクは私の敵だ。そう信じて疑わなかった。

あとかなり個人的な話になるが、高校生のときに好きだった男の子が私とは真逆のタイプの女の子(女の子らしくてピンクの小物を沢山持っているような女の子)のことを好きで失恋したこともあいまって私のピンク嫌いはますます加速していった。

「ピンクちゃん」はどこにでも現れる。前職の上司に「女の子なんだからもうちょっとさ、いつも明るくニコニコしててよ」とか「あなたは貫禄があって怖いから新人らしくして」とか言われたときに彼女は私の頭の中に現れる。ニコニコしながら彼女は私のデスクに着く、すると上司は「○○ちゃんはいつもニコニコしてて可愛いなー。それに比べてお前はさ」と言う。全部妄想である。完全なる被害妄想である。私は思う。「私じゃなくてピンクちゃんみたいな人を雇ったらよかったのにね。ごめんなさい。」

「女の子らしさ」を求められるたびにピンクちゃんは私の頭の中に出てきて私を苦しめ続けた。私は彼女にはなれない。顔も性格も見た目も女の子らしい部分なんてなかった。自分の身長が170cmあるのも嫌だった。ズケズケと空気を読まないで発言してしまう自分も心底嫌いだった。今だって少し嫌いだ。

この私の中の「ピンクちゃん」の厄介なところは彼女自身がピンクを身につけていないこともあるということだ。ここまでくるともはや色がどうとかの問題ではない。女の子らしくて可愛くて美しくてフワフワキラキラした人を目の当たりにするとピンクちゃんがひょっこり出てくる。ただ彼女はニコニコしているだけだ。それだけなのに、誰かに責められたわけでもないのに私はベコベコにヘコんでしまう。自分を自分でさらに嫌いになっていった。自己卑下が止まらなくなった。

昔、美容師志望の同級生の男の子に「あなたは可愛くないね。可愛くない。」と真顔で言われたことがある。言われた私は「あぁ、やっぱりそうだったんだ。」と絶望した。当時の自分なりに楽しんでいたメイクもオシャレもそこからなんとなく嫌になった。疎遠になった。

「美意識なんてものはキラキラしていて可愛い女性しか持ったらいけないものだったのだ。そう、例えば、ピンクが似合うような女の子。自分に自信があって可愛い女の子。」
そう思った。何年も思い続けた。洋服もメイクも「人に不快感を与えないような無難なもの」を選んだ。ピンクを身につけることはなかった。せいぜいチークとかリップとかの「生きていく上で必要最低限のピンク」しか取り入れなかった。だって私はピンクにふさわしくないから。

「卑屈すぎませんか?」
うん、私もそう思う。

「被害妄想激しすぎ」
だよね。私もそう思う。

「女の子らしさ」を求められるたびにピンクを呪った。「ピンクちゃん」を憎んだ。「世間一般でいう『女の子らしい女の子』なんてなりたくない」と思った。化粧もオシャレも面倒だった。だが思考とは不思議なもので、恐らく私は心のどこかで『女の子らしい女の子』になりたかった。ならなくちゃいけないと思っていた。だからこそ反発した。反発すればするほど「でも結局はそういう人間が愛されるんでしょ」と思った。周りがそう言って呪いをかけたわけではなかった。自分でそう思い込んで自分に何重も呪いをかけていただけだった。

それからなんやかんやあって、辛いことも嬉しいことも面白いことも沢山経験して、生まれて初めてジャニーズのコンサートに行くことになった。そこでなんとなく、本当になんとなくだったと思う。

「美意識向上してみるか。ジャニーズのコンサートにも行くことだし。」と決意した。

とりあえず美容院に行って髪の毛をセミロングからショートにした。髪色もナチュラルブラウンからアッシュ系の色に染めた。マツエクをした。目が大きくなった。上から下まで服を買った。「まだ着られるから」と置いてあった洗濯痛みが激しいトップスやジーンズも全部捨てて新しいものを買った。可愛い靴も買った。「自分には似合わない」と思っていた小さめのコロンとしたカバンも買ってみた。デパートのコスメカウンターに行ってリップとか化粧下地を買った。久しぶりに女性ファッション誌とか買ってみたりして読んでみたりもしてみた。ランナーズハイならぬ美意識ハイである。

結果。
全部意外と楽しかった。
(ジャニーズのコンサートも楽しかったです)

そういえば「あなたはオシャレも化粧もやっちゃいけない」なんて誰も言ってなかった。自分がそう思っていただけだ。「誰も見てないからいいや」と思っていたけれど、自分を1番見ているのは間違いなく自分自身で、鏡を見て化粧ノリがいいとやっぱり嬉しいし自分が気に入って買った服を着て全身鏡の前に立つと気分がアガる。NARSのリップをつけると「よっしゃ。頑張ろう。」と背中を押された気分になるしジルスチュアートのリップをポーチから取り出すときに「よっ!可愛いね!可愛いケース!可愛いリップ!それを持っている私!」と無理やりかもしれないが自分で自分を褒めてあげれるようになった。まさかの効果である。

20数年間生きてきたが「オシャレも化粧も自分がご機嫌に過ごすためのツールの1つである」なんて誰も教えてくれなかった!なんでなの!!私が勝手なひがみ根性で敬遠してきたからなの!?そうか!納得!

美意識向上してみて数週間が経ったある日のこと。仕事帰りに立ち寄ったショッピングセンターの中に洋服のセレクトショップがあった。そこのショーウィンドウに飾られているスカートに目が釘付けになった。反射的に「素敵だな。可愛いな」と感じた。

それはピンクのスカートだった。

グレーをベースにした生地にピンクの花模様がついていて大人っぽいデザインだったのもよかったのかもしれない。店員さんに「試着してみてもいいですか」と聞いてみた。当たり前ではあるがすんなり試着室にそのピンクのスカートと共に案内されて試着してみた。鏡を見た。あれだけ憎んでいた「ピンク」の「スカート」を履いた私がそこにいた。履いたからといっていきなりキラキラ女子になるわけでもなく、ピンクを着た私がめでたく誕生しただけである。

「ほう。私だってピンクを着てもいいんだ。ピンクを着ても誰も私を怒らないんだ。」

そのまま流れるように購入した。

帰りの電車はいつもより緊張していたのをよく覚えている。「『あぁ、あの人ピンクのスカートなんて買っちゃってるよ恥ずかしい』とか笑われたらどうしよう」とか「とうとう!私が!この私が!買ってしまったわ!ピンクの!スカートを!生きてきて初めて!ピンクを!」とか色んなことを考えてドキドキしながらスカートの入った紙袋を抱えて帰った。

その日、ピンクと私は和解した。

ピンクのスカートは私の大のお気に入りになった。


ピンクもオシャレも化粧だって私を否定してくるようなものではなかった。「好き」の反対は「無関心」とはよく言ったものだが、自分で自分の「ピンクの呪い」を解いてから「ピンク?どっちでもいいんじゃね?好きなら着ればいいし、嫌いなら違う色を着ればいいし。性別とか年齢とか性格とか関係なくね?」と思うようになった。ピンク色の小物を「あ、可愛い。欲しいな」と思って素直に手に取るようになった。

ピンクはただの色だった。綺麗な色の1つでしかなかった。そこに自分が周りに影響されて色んな偏見をくっつけて勝手に苦しんでいただけだった。私の頭の中であれだけ存在感を示していたピンクちゃんもいつの間にかいなくなくっていた。きっと彼女のことだから今の私を見て喜んでくれるだろう。

なーんだ。

いいじゃん。ピンク。