「ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室」( 著:キャスリーン・フリン)を読む




とある日、帰宅して晩ご飯を食べながらテレビを見ていた。画面に映るのは日テレの「世界一受けたい授業」( http://www.ntv.co.jp/sekaju/onair/170805/01.html ) でこの本の著者であるキャスリーン・フリンさんが講師として招かれていた。「 冷蔵庫が変われば人生が変わる フランス式 冷蔵庫革命!」と題された講義はとても興味深く、ふむふむと関心しながら見ていたのだが、最後あたりにゲスト女優の1人が唐突に映画の宣伝を入れてきて少し驚いてしまった。「え?今入れる?」と思っているとキャスリーン・フリンさんがそれに便乗する形で冷蔵庫の中に映画ポスターを貼って「素敵だから私も貼ってしまいました。」と嬉しそうに語っている。司会者がそこにツッコミをして講義のオチがついて終了した。色々と思うことはあるが、イヤな顔をひとつせずに己とは関係のない映画の宣伝を手伝う彼女の姿を見て漠然と「あ、この本買わなくちゃ。読まなくちゃ。」 と感じた。次の日に書店で見かけたので買った。読んだ。


食べることは、生きること。

 

料理ができない――

そのせいで、自信を持てなくなっていた。

 

年齢も職業もさまざまな女たちが、

励ましあい、泣き、笑い、野菜を刻む。

 

10人の人生を賭けた、リベンジがはじまる。

 (公式サイト内容紹介より)


調理人でもありフードライターでもある著者はスーパーマーケットで缶詰や箱詰めのレトルト食品を買い込む女性の姿を見たことをきっかけに料理教室を始める。それに参加するのは「自分の料理に自信がない」ということだけが共通した10人の女性たちだ。年齢も違えば職業も、育ってきた環境も年収も違う。この本に書かれているのは巷に溢れているようなキラキラした料理本のような内容ではない(キラキラした料理本にも得るものはあるし、あれはあれで素晴らしいものではあるが)。料理に対する自信のなさ、恐怖、己の健康状態と食生活への不安、様々なものを抱えた女性たちのもはや執念に近いものが描かれている。



「だから私、知識を得たいんです。そうすれば賢い選択ができるでしょ。」


参加者の1人であるドナの言葉である。

この本に書かれていることは料理に限った話ではなく普遍的なものがとても多い。「料理をしない」人たちの中には「しない」のではなく「できない」人も多い。ではなぜ「できない」のか、「知らない」からだ。この「知らない」という状態は非常に厄介なものでこれには「知らなくても今まで生きてこれたのだから」という考えが付随している。その考えは選択肢と想像力を狭くしてしまう。10人の参加者たちは「料理をしない。もしくはできない人」ではあるが「知らないからできない」人でもある。そんな迷える子羊のような彼女たちに著者たち(著者だけではなく優秀なアシスタントや個性的で素晴らしい講師陣も登場する)は試行錯誤しながらレッスンを続けていく。技術はもちろん知識を教え込んでいく、生徒たちを否定することなく「1度考えてほしい」と他の選択肢があることを提示する。繰り返しになるがこの本に書いていることは料理に限った話ではない。人生が知識によって広がること、広がった知識は人生の選択肢を大幅に増やし自由を与える。


さて、料理に限った話ではないと書いたが、料理という教材はとてもいい教材だと思った。この本の「料理」は調理技術を指す言葉ではない食材を選び、買い出しするところから片付けまでが含まれている。食べ終わったあとに己の料理をフィードバックすることだって料理の一部だ。料理にはあまりにも多くの事柄が絡みついて構成されている。それをときほぐしつつ「じゃあこうやればいいのよ。あ、答えなんかないよ。あなたならどうする?」と考えることを停止させずに投げかける強さと優しさがここにある。


話を少し変える。私は管理栄養士の資格を持っていて病院や老人ホームで実習生として研修を受けた身である。100人分の給食を作ったこともあるし卒業論文ではフランス料理のコースを作った。そのとき友人が丸鶏を分解するのを手伝ったこともある(頭と爪のある足がニョッキリ生えた鶏を見たことあるのはなかなか珍しい体験なのではないかと思う)。座学では調理学や栄養学を学んで日本の食文化についてもそれなりの知識はあると自負している。よって「鶏をパーツごとに買うのではなく丸鶏を購入して自分で解体しよう」とか「ストックを作ろう」とかは日本において実践的ではないなぁと少なからず思った。丸鶏を丸焼きできるオーブンを所有している日本の家庭は何パーセントだろうか。鶏を解体してそれを保存できる広さの冷凍庫を持つ日本の家庭は何パーセントだろうか。そういえばアメリカから来た英語の先生が「日本は何もかもが小さくて狭くて少ない」と漏らしていた。なるほど、アメリカは容量が大きいのだなと思ったことをよく覚えている。出てくる食の問題もアメリカの話ばかりで日本とは大きく違うことが出てくるのでなるほどなぁと思いつつ「日本ではどうなんだろうなぁ」と疑問に思った。日本における食の問題の資料とか注釈とか欲しい。そうだ、自分で調べることにしよう。


この本には料理の写真は1枚も出てこないし「憧れのライフスタイル」のような1ミリの隙もなく美しくて見本となるような人も出てこない。だけどここに出てくる人たちは「あぁー!いるいる!」とか「私もやるやる…。」という人たちばかりで親近感が湧いてくる。そんな彼女たちが料理を通じて成長していく姿に感銘を受けないわけがない。「私にもできる」と思わせてくれる。迷子になった人たちに必要なのは完成されたモデルケースだけではなく「一緒に行こうか」と手を取って隣を歩いてくれるような人だってきっと必要だ。





食べることは生きること。

どこかでも見たことあるなと思ったら今年の初めに読んだエッセイの帯に書いてあったものだった。こちらも食を通じて人を見つめる本でとてもよかった。興味のある人は合わせて読んでほしい。


食べることは生きること。

料理をすることは暮らすこと。


あーお腹すいた。