A Song for you

エンタメわっしょい

無意識の贈り物

3ヶ月ほど前、トラブルとまではいかないけれどイレギュラーな事柄でちょっとしたゴチャゴチャがあってそのことについて少しばかり叱責を受けた。確かに、いくらイレギュラーとはいえ私が気づいていればその出来事は回避できたはずで申し訳ないと思いつつ反省と今後の改善についての具体的な提案をしてその日は終わった。

「飲みに行こうか。」
と言われてついていったのは別にヘコんでいたわけでもクサクサしていたわけでもなく誰かと食事をしたかったからだ。聞き捨てされるような何気ない話題をやり取りするだけでも得るものはある。

「やっちゃったねぇ。」
何杯目かのビールを飲みながら私よりも随分と年上の男性は言う。2時間くらい経っていたと思う。
「そうですね。反省してます。」
「次に活かせばいいんだよ次に。」
失敗したことない人なんていないんだから。だから反省してる貴方は大丈夫。何度失敗してもいいんだよ。きちんと謝罪して次に活かせばいいよ。にしても最近の世の中の失敗とか反省とか改善さえ許さないのってなんだろうねえ。嫌だねぇ。そんなに誰かを人柱にするのが楽しいのかねぇ。

そういうとビールのお代わりを頼んだ。相変わらずこの人はペースが早い。

「でもさ、あの言い方はムカつくよね。」
ボソッと言われたその言葉は聞き取れるか聞き取れないかくらいの音量だったので私は聞いていないフリをした。

聞いていないフリをしたがバッチリ聞いた。なんなら胸の中でメモをしてそのメモを金庫にしまって鍵をかけた。

そうか、私はあの時にムカついてよかったんだ。

確かに悪いのは私だったけれどあの場所、タイミング、言葉によって受けたショックを私は私で否定しなくてもよかったんだ。そっか。

上手く言えないけれどそれは開き直りでも逆ギレでもなく、全く別のもので私は何かしらの失敗や過ちを犯したときに100%自分が悪いのだと思い込んで自分を責める傾向があるのだけど、そのとき思った感情くらい、自分で自分を受け入れてもいいんじゃないかとホッとした。何年分も溜まっていった肩の荷が降りた気がした。勿論、反省や改善はしておいた方がいいに決まっていることを追加しておく。

去年の夏に今までにないくらい絶望して自暴自棄になっていた時期があったのだけど、そのとき本能的に1番求めていた言葉は具体的な解決策でも励ましの言葉でもなく自分の「つらい、悲しい」という感情を受容してくれる言葉だった。

「じゃあ逃げればいいよ。こうすればいいから。」という言葉をもらってもそれを行動に移す心と身体の体力がなかった。

「今の現状を乗り越えたら大丈夫だから頑張って」という言葉をもらっても心が飢餓状態の私からすれば「なんでそんなこと言えるの!?保障してくれるの!?責任とってくれるの!?」と泣き叫んでいた。

私はあのとき「そうだよね。それは辛いよ。」の言葉が欲しかった。「でも辛いって思うことに罪悪感を感じてしまってるから余計苦しいんだよね。」と言ってほしかった。

感情をコントロールすることは難しい。ほぼ瞬発的な反応で行われるそれは己の意思で「では今から悲しいと思います」と自分に命令して悲しい気分になることはできない。感情は自由だ。何かを見て面白いとか素晴らしいと感じて何かを食べて美味しいと感じることは素敵だが、何かを見て面白くないとか不快と思ったり、何かを食べて不味いと思うことだって同じくらい大切なことで否定すればそれは自分自身の否定に繋がるわけで。そして去年の私は自己嫌悪と自己否定の末に最悪のことをしようとした。

面白い、つまらない
美味しい、不味い
よくわからなかった
好き、嫌い

それをどう表に出すのかは別として、どんな感情だって感じること、思うくらい自由にしてもいいじゃないか。人の感情は矛盾まみれでマーブルやグラデーションにすらならない絵筆を洗うバケツのようなものだ。

「だからな」
この人は一体ビールを何杯飲むつもりなんだろうと不思議に思ったとき、グラスに視線を落とした男性が言った。

「頑張れ。」
彼は言った。

「頑張ります。」
私は答えた。

そう言えるくらいの元気はあった。