4年前の手帳に書いていたこと

f:id:sasanopan:20180422134117j:image

久しぶりの休日に戸棚の整理をしていたら手帳がわんさかと出てきた。1番古いもので4年前のものがあったので過去の自分と対面するべく古い順に手帳たちを開く。ふむ、学生から社会人になって生活環境が激変していて内面も大きくではないが変わっている。とある時期に差し掛かると(大抵は夏である)、毎年のように落ち込んでいて面白い。特に4年前の落ち込みようは尋常ではなく、日常を綴る欄に詩やエッセイを書いていたりしていて興味深く読んだ。せっかくなのでここに一部の作品を載せておく。ナルシシズムが全開なのは今でも読んでいて恥ずかしくなるが手帳の中の記述なので予めご了承いただきたい。

 

「雨」

副題 私の神は雨の中に

私は雨女である。遠出をすれば大体曇りから雨になる。雨を私は愛しているので自分自身が雨女なのは大した問題ではない(一緒に遊びに行く人たちからすれば迷惑な話だろうが)。雨の日の深夜から早朝がたまらなく好きである。雨音の中で眠るといつもよりぐっすりと眠れるし早朝に雨の中を散歩することは私の中で「素晴らしいことランキング」のベストテンには入る。ひっきりなしに鳴るスマートフォン、過剰なバッシングと賞賛、SNS、いやに耳に残るCMソングたち。そういったものを雨音はすべて消してくれる。とまではいかないけれど優しく包んで隠してくれるように感じる。雨の日に外に出た瞬間のあのひんやりとした空気に触れた時に私はとても落ち着いてリラックスできる。死ぬなら肌寒くなった秋頃の雨が降る早朝と決めている。一番冷たくて優しいのがその瞬間だと思うから。

 

「友情」

あるようでないもの

ないようであるもの 

 

「孤独」

魂の本質

存在する為の条件

逃れられないもの

子供が愛し、大人が怖がるもの

 

「幸せ」

「桜がもうすぐ咲くなぁ」と心待ちにしているとき

午後2時ごろのポカポカとしたひだまり

お昼寝、おやつ、夜食

好きな音楽と出会った瞬間のあの感動

暑いときの冷たいシャワー

本を読み終えて閉じた時の音

熱い飲み物の湯気

飲み終わってもまだ温かいマグカップ

本屋で何時間もいるとき

スーパーでの買い物

給料日

焼き菓子を焼いているオーブンを開けたとき

雨の日の図書館

映画館の照明が暗くなるとき

おろしたての服

手触りのいいタオル

ミュージカル、舞台、ライブ

親しい人との会話

 

「朝」

希望と絶望の確認

 

「昼」

室内

 

「海」

父に連れられて海へ行った。

1歩ずつ沖へ進んでいくと海底が深くなり、水面が自分の足、腹、胸、首へと上がってくる。まるで緩やかな自殺をしているようだと思った

 

「大人」

対比的なもの

 

他にも10編ほど見つかったが長くなりそうなのでここまでにしておく。書かれた肉筆の字を見ると殴り書きされていたものも多く、文法も表現も荒削りでとにかく心が苦しさで喘いでいるのがよくわかる。偉いね、よく頑張ったねと声をかけてあげたい。過去の私がもがきながら、苦しみながら生きてくれたおかげで今の自分が存在しているのだから感謝しなければならない。でもさあ、今だって結構悩んでるよ。そりゃ4年前の当時に悩んでいたことはもう解決したり時間と共に風化してしまったことも多いけれど別の問題や悩みを4年後の今の私は抱えているし未来の私だって悩むのだろう。加齢によって増えていく問題もこれから出てくるだろうし人生の行方だってそろそろ考えておいた方がいいのかもしれない。つまり端的に言えば結婚したいだとか子供を持ちたいだとかそういう話になってくるけれど自分1人ではどうにもならない問題でもあるのでどうしようもない。結論、難しい。みんなどうやって解決したり結論づけたりしてるんだろう。

あきらめることと受け入れることはよく似ているけれどどこかで違っていて、その違いってどこにあるのだろうと最近ずっと考えている。過去にも戻れず、未来にも行けない私は容赦なく進んでいく今という時間軸から動けないままだ。

つまり、そういうことなのかもしれない。そうかと手帳を開いて今感じていることを書いてみた。今から4年後の私がこの文章を読んでどう思うのかを知るのが楽しみなのでもう少し生きてみようと思う。