必要十分量の幸福

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20歳の頃に撮った写真。

自宅待機がやっっっっと終わって出勤である。なんやかんやで11連休というなかなかに大きな休みをもらってしまった。実際のところ、ひたすら自宅待機で外出したのは病院に行った2時間ほどだけで、あれだけ「休みをくれ!」と思っていたけど求めていた「休み」では決してなかった。欠勤からの減給に怯え、体温計を1日に何度も脇に差し込み、37.1度や37.3度と言った微妙な微熱が表示されるのをウンザリした顔で見つめ、職場に「まだ発熱しています」と連絡するだけの毎日だった。そして結局何の症状だったのかわからずじまいだった。

虚しかった。発熱以外は健康そのものだったので(ストレスからか蕁麻疹になったがいつものことである)、家の掃除はあらかた完了した。風呂場の排水口から窓のサッシの掃除までありとあらゆる場所を掃除したけど心はいまいち晴れなかった。やりたくてやっているのではなく、他にやることがないから何となくやっていたので当たり前だといえば当たり前の結果だったのだが。マンネリ化した自宅待機で退屈していた。以前なら喉から手が出るほど思いでやってほしかった舞台の無料配信も殆ど見ていない。せっかくだから資格の勉強でもするかと参考書を手に取ったが、この前に資格試験そのものが中止になったことを思い出した。人生にやる気がない。

家があって仕事があって、大好きな人である夫と一緒にいて幸せだと思う。でもなんだろうこのやるせなさは。そこそこ幸せだし楽しく生きているはずが、いつのまにかSNSやテレビを眺めては自分のものではない人生に底知れない嫉妬や羨望を感じてしまう。漠然と「自分は他の人とは違っていて何かを成し遂げることのできる人間である」とまだ心のどこかで思っているからなんだろう。あれもこれもやりたいはずなのに何かと理由をつけてやらない。そこまでの情熱や努力を続けるだけの継続力がない。生きてるだけで偉いと思うけど資本主義社会では「より多く、より便利な、より優秀な人材やモノ」が尊ばれるので生きてるだけで競争社会の中で順番をつけられる。強者に優しい世界である。ガッデム。

幸せなんだけどなぁ…でもなぁ…。キリがない。本当にそう思う。

ロールスロイスに乗る人生ってどんな感じだと思う?」と夫にこの前聞かれた。夕食中だった。道端にロールスロイスが止まっていてそこに同年代くらいの男女カップルが乗っていて疑問に思ったそうだ。私は10秒くらい考えてから答えた。

ロールスロイスの営業かもしれない。自分のものではないかもしれない。親とかに借りたのかも。それか普通にレンタルとか。それに」

私は乗りたくない。

そう言った。高級車なんて恐ろしくて乗れない。運転をして擦ったらも思うだけで恐怖で固まってしまう。座席に座るだけでも緊張してしまうだろう。あとお金を沢山稼いでいるからといってお金を沢山持っているかはわからない。みんなが知ってるあの大企業だって大稼ぎしてるけど借金もすごいよ。あなたが見たロールスロイスも100回ローンとか組んで買ったのかもしれない。

とりあえず思いつく限りのことを口に出すと夫はそうかなぁとまだボンヤリと考え事をしているような表情だった。必要十分量の幸福でいいじゃないか。私は家にお菓子があるだけで幸せだぞ。できればチョコパイがいい。夫よ。私はチョコパイが食べたい。ぷりーず、ぎぶみー、ちょこぱい。

ほどなくしてチョコパイが差し出された。やったぜ。

何となくだけど、自分で自分をよく頑張ったと褒めてあげるような経験は大人になってから経験するのは難しいんだろうな。あとその経験の大半は仕事関係なんだろうということもなんとなくわかる。自己肯定感を高めるには…みたいな話になりそう。自己実現の欲求。マズロー。難しいね。とりあえず毎日ラジオ体操でもやってみる?あと毎年こんな感じに虚無っぽくなるんだけど他の人はこういうときに何をやっているの?