舞台「チック」感想 〜 少しだけ周りとリズムが違う僕らは 〜



2017年9月5日(火) 19:00公演

兵庫県立芸術文化センター中ホール


原作:ヴォルフガング・ヘルンドルフ 

上演台本:ロベルト・コアル 

翻訳・演出:小山ゆうな 

キャスト:柄本時生 篠山輝信 土井ケイト あめくみちこ 大鷹明良


公式サイト

世田谷パブリックシアター

https://setagaya-pt.jp/performances/201708tschick.html


兵庫県立芸術文化センター

http://www1.gcenter-hyogo.jp/contents_parts/ConcertDetail.aspx?kid=4292412336&sid=0000000001


あらすじ

14歳の冴えない少年マイクは喧嘩ばかりの両親と、退屈な学校生活の毎日に出口のないような息苦しさを感じていた。だがある日そんな生活を一変させる出会いが彼に訪れた。それは転校生のチックだ。彼はロシアからの移民で、風変りで問題児。チックは突然マイクの家を訪ねてくる。「乗れよ」チックが盗み出したオンボロなラーダ・ニーヴァに乗り込み2人はひと夏の旅に出る。

これまで見えていた世界とは全く違う新しい景色と、新しい出会いが彼らを待っていた!(公式サイトより)


感想

小学校のときにE君というすごく小柄な男の子がクラスメイトにいた。E君は山奥に住んでいて両親だか親戚だかが畜産業を営んでいると聞いたことがある。常にクラスでは浮いていてよくある「5人でグループを作って」などのグループ分けでは最後まで余るタイプの子でモジャモジャの短髪とくたびれた体操服を着ていたイメージがある。鼻炎持ちなのかいつも鼻水が垂れていて乾いた鼻水が鼻の下にこびりついていた。そんな彼が国語の時間に作文を発表した。そのときのお題は「誕生日に食べたい食べ物」だったと思う。他のクラスメイトは地元で有名なお寿司屋さんのお寿司や高級焼肉、ケーキなどを挙げていたがE君は違った。


「僕はマクドナルドのチーズバーガーを誕生日に食べることが好きです。誕生日にはいつもお母さんが連れていってくれます。来年はダブルチーズバーガーをお願いしようと思います。」


と彼は言った。あのとき教室に充満した「嘘だろ」という奇妙な空気を忘れられない。ワンコイン以下で買えるファーストフードを1年でも数少ない特別な日に食べたいと彼は言った。今では単純に彼がマクドナルドを好きだったんだろうなと思えるが、当時の私にはそんなことは全く思いつかず、「E君はもしかしてすごく貧乏なお家に住んでいるのだろうか」と失礼なことまで考えていた。


そんな彼がまた作文を発表する機会があった。タイトルは「ハジメ


「僕は夏休みおじさんの家に行きました。おじさんは僕に赤ちゃん牛をくれました。僕はハジメと名前をつけて毎日世話をしました。ブラシをかけたり水をあげたりエサをあげたりしました。しばらくするとハジメは僕を見て寄ってくるようになりました。嬉しかったです。毎日ハジメと僕は一緒にいました。なので夏休みが終わってもお父さんにお願いしておじさんのところに行きました。おじさんは「3ヶ月経ったのでハジメを売りに行くよ」と言いました。子牛の売り時は2〜3ヶ月だそうです。僕はすごく寂しくて悲しかったけれどハジメにお別れを言いました。ハジメはどこかで美味しく食べてもらえたらいいなと思いました。おわり。」


意味がわからなかった。当時の小学生だった私にはあまりにも早すぎて衝撃的な内容だった。畜産業の中に存在する「生きた命を育ててそれを奪い、食らう」という事実を彼は淡々と読み上げたあとにいたって普通の顔をしてその作文用紙を折りたたんだ。


彼はとても個性的だった。

彼は「異端」として扱われた。


今現在、E君がどこで何をしているのかはわからない。知るすべもない。15年以上の前の話である。何年も何年も思い出してなかった。


今作品「チック」を観て彼のことを思い出した。泣きたくなるような笑いたくなるような不可解な切なさで胸が詰まって息が苦しくなる。今、彼に会っても私はきっと何も言えないだろう。たとえ過去へ行ったとしても私は苦笑いをする程度で彼の側へ行こうとしないだろう。


チック。ずっと思い出していなかった過去の思い出を井戸から水を汲み上げるように回顧させられる作品だった。ザラザラとしたビー玉に光を当てたときのような眩しさとそこから生じる歪みがそこには確かにある。


あらすじにあるようにこの物語はマイクとチックが車を盗んで旅をするひと夏の物語だ。夏休みに突入した少しだけ変わった14歳の少年達が少しだけ変わった人々と出会って旅を続けていく。クイズ大会に出たらきっと優勝するだろうと思えるほど知識のある家族(ただし最寄りのスーパーを知らない)、ゴミ山に住む聡明な少女、元腕利きのスナイパー、カバのようなおばさん、美人の看護師、電話相手、裁判官。みんな少しずつ変わっているけれど心根の優しい人々が2人を受け入れ、送り出していく。誰も彼らをかつて彼らがいた場所の人々のように遠ざけたり拒絶したりしない。


何気ない会話の中に含まれる人々の思いやりと彼らが持つ少しだけあるズレをさりげなく忍ばせているような演出がよかった。座席中央最前列を車の運転席に見立てて彼らと共にドライブしているような気分になるところや舞台中央部にある不定形の台(斜めになってたり高さがそれぞれ違う)を回転させて台の線や立体が違って見えるようなところも興味深く、観客席から観てどうなるかを考え尽くしたものだった。またカメラを使ってリアルタイムで画面に映されるキャラクターの表情やそれによって視線が固定されるという2次元と3次元の使い分けも興味深い。第4の壁を破りながらまた物語の中へ帰っていくマイクの狂言回しのような役も好きだった。冒険劇でもありながら彼の語りによって今作品「チック」が過去から未来、未来から過去へのタイムトラベルになっていたのだ。今回の演出は小山さんの演出する作品をまた観たいなと強く思わせるには充分なほど見事な味付けだったと思う。ただあのドライブを表現する背景や景色を映し出すあれはマイクが台詞を通じて彼らの見た景色を説明していて観客各々がそれらを想像していると思うので蛇足に感じた。


役者やスタッフの「芝居が好きだ!そしてチックが好きだ!」という無邪気で真っ直ぐな愛情が私は好きだ。ところどころでチック役の柄本さんがふざけていてそれに耐えきれなくてマイク役の篠山さんが笑っていたり「お前、素で台詞間違えんなよ(ややこしい台詞を間違っていたらしい)」とツッコミを入れていたりしたけれど全く嫌な気分になることはなくて一緒に楽しんで爆笑した。心から芝居が好きなんだなとこちらまで染み入るような演技でとても好感をもてた。


明るい爽やかな冒険劇であるはずなのにその底にある重くて苦い現実があるのも面白い。そしてその現実を対比を使って風刺しているのもいい。かつてはお金持ちであったマイクの父親は自己破産して差し押さえされている豪邸(プールがある)に家族と共に住んでいて、マイクの母親は重度のアルコール中毒で入院が必要なレベルだ。大人でかつての成功者である彼らの方がよっぽど世の中につまずいている。クラスの人気者である美人で完璧なタチアーナ(物語にはほぼ出てきません)も勝ち組でありながらマイクやチックの個性の横ではつまらなく見える。


14歳という絶妙な年齢の少年少女が持つ独特の雰囲気や世界観、ある意味では狂気と捉えられるようなあの無防備さやあどけなさ、そして現実を知り始めたあのどうしようもない絶望や孤独感が共存しているキャラクターを大人が演じ、それを観客が脳内で各々が持つイメージを重ね合わせて完成させていく面白さときたら「これだから舞台は面白い」と思わずにはいられなかった。是非とも再演してほしいけれど観客席がガラガラだったのである…すごく悲しい…無理かな…してほしいな…。


彼らもいつかは「他の人と同じようにした方が生きやすくなる」と学んで背中に生えている見えない翼を引きちぎって大人になっていくのだろうか。その中で何を捨てていくのだろうか。だとしたら、今のうちに馬鹿なことでも誰からも理解されないようなことでもやればいい。好きな女の子のために何ヶ月もかけてビヨンセの絵を描いてもいい、「50年後にまたここで会おうね」なんて守れるのかもわからないような約束だってすればいい。盗んだ車で暴走するのは本当によくないことだけれど彼らが反省してまた日常へ彼ら自身として成長して帰っていけるような社会の器は大人として作って守っていかなければならないなと強く思った。いい芝居でした。



マイクとチックへ


素敵な夏の思い出のお裾分けをありがとう。最高の夏と最高の友人はきっとあなた達の大切なピースになるので大切にしておくこと。


君たちが思ってるより世界ってずっと広くて優しくて、それでいて驚くほど不器用で情けないけれど、結構愛おしいんですよ。だからゆっくりでもいい、他の人とリズムが違っててもいいから少しずつこちらに歩んできてくれたら嬉しいです。楽しみに待ってます。


あなた達の物語を楽しんだ1人の大人より