心のギアチェンジの仕方がわからない

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「3月は仕事で繁忙期に入るので去るどころではなく一瞬で消え去るような予感がしているので危ない。」と3月頭に書いたのが昨日のようにも去年のようにも思える。今日は何日だったかなと手帳を確認すると5月も後半に差し掛かっており、月日の過ぎる速さが年々増していることに気がつく。明日の朝に目覚めると2019年になっているかもしれない。

3月から今にかけて狂ったように楽しい記憶しかないのはありがたいことだ(季節外れの風邪でゴールデンウィークを丸々潰したことを除く)。やりたいことは全部やった。友人と買い物をしている最中に「お花見をしてない!」と突然発言してお花見散歩に付き合ってもらったり、酒蔵に出向いて朝から日本酒を飲んだりジャニーズのコンサートも行ったりもした。本を読んだりオーケストラの演奏を聴きに行ったりもしたし仕事だって楽しい。会いたかった人たちにもどんどん会った。偶然にも遠方から来た人にどうしても会いたくて「今から会えませんか」とメッセージを送って会ったりもしたし(出会い厨か)、空港まで会いにきてくれた人と演劇についてあれやこれやと語るのも楽しかった。特に最近行った「ちょっとしたパーティー」は人生のベストに入るほど楽しくて白ワインを片手にずっと「素晴らしい!インターネット最高!」と叫んでいた。

あまりにも、あまりにも毎日が楽しい。楽しすぎる。それが少しだけ怖い。楽しすぎるあまり色んな物事や感情に対して鈍感になっている確信がある。今の私はきっと悲しんだり苦しんだりしている人に対して「生きてれば楽しいことあるよ!!」と肩を叩きながら言ってしまうに違いない。なんというクソなアドバイス。クソバイスだ。よって、今現在自分以外の誰かの気持ちに寄り添える自信がない。所詮、他人は他人で自分とは違う人間なのだから寄り添うも何も最初からできるわけがないというのも一理あるが、少なくとも以前の私よりも今の私は随分とわがままになっている。これは実に危険である。そろそろ落ち着きたい。心の体力がもたない。というのに今週は友人カップルと第2回トランプ大会を開催するし来月には楽しみにしていた劇団の舞台を観に行くし再来月には幼馴染の結婚式にも行く。なんという素晴らしきかな人生。ドン底だった2年前の私が見たら卒倒してしまうかもしれない。毎日を貪り食べるようにして生きている。こんなに楽しくていいのか。私は人生を楽しむに値する人間なのかと脳内のもう1人の自分が叫ぶがもう1人がそんなの知るかと蹴飛ばす。脳内はそのうち後から加わった他の私と乱闘騒ぎになり、最後にはゲラゲラ笑いながら肩を組んでいるので自分ほど信用できない人間もいないなと改めて感じる。見事に自意識過剰で被害妄想と諦めと共に生きてきたので楽しいことにも幸福なことにも慣れてないのだ。もういっぱいいっぱいで溺れて息ができない。呼吸しようとすればするほど肺の隅々まで入り込む幸福。最高。このままタイムカプセルに入って冷凍されてもいいかもしれない。そうして100年後に目覚めた私はこんなことがあってねと目の前のロボットに話すのだ。ロボットは私の記憶をデータ化して世界と共有していき、私は「幸福な人間その1」としてラベリングされ、また眠りにつくだろう。

このまま幸福の熱に浮かされてそのまま溶けて蒸発してしまいそうだ。これからの未来で今より楽しく生きる自信がない。心の平均温度がおかしい。