紙風船みたいだと思った

ただの日記。

以前にも書いたが2018年はあまりにも劇的だった。住む場所を変え、生活を変えた。恋人ができたことがかなり大きいが「誰かといること」を純粋に楽しめるようになった。そんな気がする。今までは誰かと一緒にいても「私より大切な人や仲良しな人がいるのでしょう?私なんかに時間割いてくれて楽しい?」というネガティヴ通り越して逆に失礼な心持ちでいたが(これについては友人に本気で叱られた)、ようやく「あなたといて楽しい」という自分の気持ちを表に出せるようになってきた。だって自分以外の人の本心なんてわからないから。もしかしたら私と一緒にいる人は実は物凄い悪人で私の財産(そんなものはない)を狙って親しくしてくれているのかもしれないし嫌いで嫌いで仕方ないのかもしれない。わからないことに気を使って魂をすり減らすのは疲れる。だったらとりあえず素直にこの状況を楽しめばいいじゃないか。よかろう。今はそんな感じ。どちらかといえば私は人に誘われるより誘う方が多いので人間関係に関しては圧倒的に「片想い」なのだけど、それでもいいのだ。というわけで私の親しい人たちは覚悟しといてほしい。ガンガン誘うからな。よろしく。

さて、人と一緒にいることを選ぶということは必然的に自分1人の時間が減るということである。去年はその意味をよく理解してなかったので欲望のままに人に会った。暮らした。生きた。そして最近になってとうとう限界がきた。好きなアイドルも舞台も、あらゆるコンテンツに対して心がそんなに動かなくなってしまった。「良いなぁ。よく出来てる。」とは思うが琴線にふれるような感動を得ることが少ない。自分の感受性が低くなったから得られるものが少なくなったのかもしれなかった。そうなると早いものでチケット取りや情報収集のフットワークもどんどん重くなって悪循環に陥った。そういえば一昨年に「オタクしすぎてるから恋人が欲しい。オタク業を減らしたい」と友人とお茶をしながら零したことがあるが実際に自分がそうなるとなんか違った。要はバランスなんだろう。生活をあまりにも変えすぎた。まるで「早く早く、あれをしたい。これをしたい」と自分のタイヤの空気を入れすぎてパンクしたようだ。いや、それにしては随分と緩やかなものだった。あぁ、紙風船みたいだと思った。オモチャでよくあるクシャクシャの紙風船。下に穴が空いていて空気をそこに入れることもできるがフタをすることもできないので空気でパンパンにしても遊んでいるうちにしぼんでしまう。激しく遊べば簡単に破れて穴が空く。破れた紙風船に空気を入れようとしても以前ほど膨らむことはない。それによく似ていた。そうか。破れた紙風船は「ここ最近オタクといえるほどコンテンツを消費したり何かを生産してるわけでもないし、かといっても人間性がオタクだから何かのオタクをしていたい。好きなことや自分のしたいことが見つからないのが辛い。自分が自分でいられる時間が欲しい。1人の時間が欲しい。」と恋人にシクシク泣きながら相談した。それならばと次の日に1人にされた。「よっぽどのことがない限り連絡してきたらダメだよ。好きな本を持って好きなカフェで1人でゆっくりしてきて。辛くなったらいつでも言って。」そういう恋人を「お前いいやつだな」と思いつつ黙って頷くしかなかった。

カフェで積読していた本を読んで美容院の予約を取って友人にご飯の誘いを入れてゆっくりしていたらようやく落ち着いてきた。今は修繕期間だと思おう。

帰宅したら遠方にいる友人が私のツイッターでの様子を見て心配してくれたのかgifteeでスタバカードを贈ってくれた。その思いやりに泣いた。

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別の日、「ロルバーンのパンダパッケージ(上野限定)欲しいけど関西在住だし…」と思っていたら「買おうか?」と関東の友人がすぐに送ってくれた。ピンクのものが欲しいとお願いしたら「可愛かったから」とブルーのものも同封されていた。何故か温泉特集の雑誌も同封されていて「貴方の好きな場所が載ってたから」とメッセージが。雑誌のページをめくると私な好きな場所のページには付箋が貼っており、漠然と「温泉いきたーい」と思っていた私にとって二重の意味で天からの贈り物のようだった。あまりの嬉しさにノートと雑誌を抱えてベソベソ泣いた。

「何かをしてくれたから嬉しい」というのも勿論あるがなによりも自分を気にかけてくれていたことが嬉しかった。違う言い方をすれば「自分の好きな人の心の中に自分の居場所があったこと」がたまらなく嬉しい。あ、ダメだ。また泣きそう。

今すぐ以前のようにフルパワーで駆け回るのは難しいけれど少しずつ自分のペースで取り戻してまたコンテンツを楽しめたり自分の好きなことをやれればいいなと思う。なんとかなるさ。私はさえない存在かもしれないが私の周りには素敵な人が大勢いるから。

 

色んなものに元気を沢山もらって生きている。