夫と休日が重なったのでカフェに行った。そのカフェはこじんまりとしたもので、ガラス張りの壁から大きな木と海が見えるのがとてもよかった。パスタを頼んであれやこれやと雑談に花を咲かす。
パスタが来た。食べる。美味しい。
カルボナーラって昔はあんまり好きじゃなかったな。生クリームです!卵です!!みたいな重さが苦手だった。何故か最近になって美味しく食べられるようになったので不思議。これも美味しかった。お腹が空いていたのでモリモリ食べる。即完食。
外に猫がいたので「猫だ猫だ」とはしゃいで写真を撮る。撮っていたのは私だけだったので若干恥ずかしかった。
ケーキが来た。ちなみにマンゴーのタルトにした。皿の上が眩しいくらい鮮やかである。それを見ながらウフフと思わず笑みが溢れる。さぁ食べるぞとフォークを握った。そのとき何故か「自分にとってケーキは特別な日に食べるものだった」ということを突然思い出した。そうだ。そうだった。子供の頃のケーキといえばクリスマスとか誕生日とかそういった特別な日にしか食べなかった。カップケーキとかアイスクリームとかはしょっちゅうお小遣いで買って食べたりしてたけど、こういった生ケーキは特別な日限定だった。それがこうして何気ない日に私はケーキを食べている。ケーキにフォークを突き刺して口に運ぶ。マンゴーの濃厚な甘みとタルト生地の香ばしいアーモンドが口の中で混ざって幸福としか言いようのない味になった。
「……。」
美味しい。なんだか胸がいっぱいになって黙りこくってしまった。テーブルの向かいにいる夫は「美味しそうだなぁ。いいなぁ。」と言いながらレモネードを飲んでいる(彼はケーキを頼んでなかった)。黙ってケーキとフォークを夫に渡す。
「え、いいの?」
いいですよ。どうぞ。
「やった。」
嬉しそうにケーキを食べる夫を見て「ケーキは特別な日に食べるものだった説」をあーだこーだと話すと納得したような顔で「自分もそうだった」と頷かれた。それがねえ、今になってねえ。
3年ほど前にこういった記事を書いたが、今回の感情はそれとはまた違ったものだった。前に記事を書いたときは自由を手に入れた開放感と全能感で書いたが、今感じているものは子供の頃の自分と対峙しているような懐かしさと切ないものだ。そうだったなあ。自分にとって最高の「特別」で「幸福と平和の象徴」だったよなあ。
幼い頃に、大人の人から箱を受け取って「ケーキだ!」と喜んでいたときのことを思い出した。今でもケーキは嬉しいが、あのときの「特別感」はとうに薄れてしまっている。大人になるとはこういうことなのかもとしみじみしてしまう。
皿の上にはまだ食べかけのケーキが載っている。まだ食べられる。やった。
なんだかあの頃を思い出してジワジワと気持ちが盛り上がってきた。
「わーい!ケーキだ!ケーキだ!」と胸の中で小さく叫んでみた。
やったー!ケーキだー!