「こんなはずじゃなかった」と自分の人生に思うことについて

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28歳になった。なんとなく、自分の未来予想図、もしくは未来願望図では27歳までしか想像せずに生きてきたので「うぉ、マジか。」と少々驚いている。そして内心かなり恐れをなしている。これからの人生をまったくもって想像してなかった。マジか。どうしよう。

毎年自分の誕生日付近で記事を書くことにしているので今年も書く。

これは去年のやつ。

とある地方の、そのまた地方で生まれ育った。公共交通機関がほぼ機能していない、つまり車がないと生きていけない場所で、高校を卒業すると同時に運転免許を取得することがその土地での必須条件だ。私も例外なく高校卒業と同時に免許を取った。自然は豊かだが人は少なく、文化施設もこれまた少なく、町のどこからでも山と海が見える。冬になると潮風が厳しく、自転車や車がすぐ錆びて傷む。何もなかった場所。それでも私はあの場所を世界の全てだと思って生きていた。

小学校、中学校くらいまでは、いわゆる「勉強がちょっとできる優等生タイプ」の人間で、自分もそれに対してプライドがあった。本を沢山読み、勉強に勤しんだ。部活もそこそこやった。思春期特有の生きづらさと息苦しさは今思い出しても胸に苦いものが込み上げてくる。2度と戻りたくない。そんな中で必死に生きていたら、やっと卒業になった。スクールカースト上位の人間が違う高校に進学することは知っていたので「これでやっとおさらばだ」と晴々とした気持ちになっていたら、不良になった同級生が中学校の卒業式に刺繍まみれの暴走族の特攻服を着て現れた。あのときは本当に愕然とした。「ここは30年前の世界なのか。」と。今思えば微笑ましい話かもしれないが。

自分の世界の窮屈さを感じ始めた私は無事に高校に進学、適当に部活やらバイトやら何やらを繰り返してそれなりの青春を送っていた。が、勉強面では見事に挫折し、大学受験も上手くいかなかったのである。志望していた大学にはまったく合格せず、なんとか入った大学は、資格取得のための、ひたすら受験勉強をさせるものでそれほど楽しいものではなかった。あぁ、他の大学で毎日のように徹夜の飲み会やサークル活動している人たちが羨ましい。

「私は本当なら違う大学に行っていたのに。」

そう考え始めるようになった。そこから2ちゃんねるやらブログやらツイッターと出会い、見事に色んなものを拗らせ、プライドだけが妙に高い性格のひねくれた人間ができあがることになる。自分で書いてて頭が痛くなってきた。

それからの人生は常に心の奥底で「こんなはずじゃなかった」と思いながら生きていたように思う。私はもっと上の大学に入ってるはずだった。素敵な恋人と学生時代を過ごすはずだった。もっと沢山の友人に囲まれて楽しい毎日をこれでもかと満喫するはずだった。もっと人から認められるはずだった。私は他の人とは違う。

要は、「自分は他の人とは違う(優れている)ので選ばれるべき人間である」という思春期からモラトリアムにかけての承認欲求の塊である。だというのに大した努力もせず、そのための行動もしない。行動をする前から「失敗して恥をかくのが嫌だ」と高すぎるプライドが邪魔をして堂々巡りになっていた。自分で書いてて泣きたくなってきた。

そんなときに「あなたは他の人とは違うんですよ。」、「あなたは、もっと沢山のお金を手に入れる人ですよ」、「もっと認められるべき人間なんですよ」とチヤホヤしてくれる人たちを簡単にゲットできるのが、オンラインサロンとかコミュニティなんだろうなぁと今では思う。人々の連帯や協力は魅力的なものだが、自分の「認められたい」や「何かを成し遂げたい」という底知れぬ欲望と、そのコミュニティの仕組みを理解しておかないと恐ろしいことになるのではないだろうか。何もオンラインサロンだけの話ではなくて、そういう人を狙って付け入る人は沢山世の中にいるので気をつけましょうという話。

話が逸れた。それから紆余曲折あって、何年か人生を過ごすうちに「いやいや、たかが私の人生だし、やりたいことあれば自分なりに挑戦すればいいのでは?」ということに薄々気づき始めた。遅すぎる。昔の人は言いました。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。」

あと、

「やった後の後悔よりもやらなかった後悔の方がずっと残る。」

とも。なるほど、くっつけてみよう。

「挑戦して恥かいても一時のもんだし、やらなかったら一生後悔するのでは。」

そして私なりの持論を更にくっつけてみる。

「ただし、無理はしないこと。」

これくらいの姿勢ならいいのでは。よし、色々やってみよう。そう思ってからの人生は早かった。自分には絶対似合わない華やかで可愛らしいピンクのスカートを買ってみたら意外と似合ってた。ずっと気になっていたけど行かなかった飲食店に入ってみたら想像以上に美味しくて何度も行くようになった。ずっと今まで言ってこなかったけれど「私だって恋人が欲しいんだよ。」と酔に任せて友人に泣きついたら、とても素敵な人を紹介してもらえて恋人ができた。自分にとって未知の領域を拡大するというのはこんなにも楽しいのかと学んだ。

それでも、やっぱり心のどこかで「こんなはずじゃなかった」と思うのは何故だろうか。他の人の人生を羨ましいという気持ちをやめられないのはどうしてだろうか。それからこうも考えてみた。

『もしかして「こんなはずじゃなかった」って現在から過去への眼差しでしかないのでは』

ってことは、あんまり意味がないのでは…!?いや、過去の経験から学ぶことは山ほどあるけど、過去から現在にかけてを否定をしてるってことは、言っても仕方のないことなのでは…!?でも言っちゃうのが人間、それが人生。辛いな!?

ヒートアップしてしまった。申し訳ない。

これほど、文字を書いて書いて考えたけれど、今でも朝4時に起きて仕事に向かうときには「こんなはずじゃなかったのになぁ」とボンヤリ思ってしまうし、友人から「家を買いました」と言われたら「羨ましっ」ってなるのは、もう私という人間の性なんだろう。どうにか付き合っていくしかないが、正直面倒くさい。早く達観したいと思う時点で達観できない人生である。あぁ無情。

でもまあ悪くない。私の人生悪くないぞ。

これからもウジウジと悩むだろうし、いっぱい泣くだろうし、苦しむことも嫌なくらいあるけれど、自分なりに生きていくしかない。

こんなはずじゃなかった私の人生、

でもまぁ悪くない悪くない。

 

28歳の誕生日おめでとう私。来年はどんな記事を書くのかな。