フィナーレを見る覚悟を(V6解散報道について)

 

V6解散報道を受けて、1人のオタクとして今の心情を書いておかねばならないという使命感に駆られてキーボードを叩いている。人によって定義は異なるだろうが、私はオタクである。そしてジャニオタでもある。担当はV6から始まり、Hey!Say!JUMP、ジャニーズWESTという掛け持ちでもあった。V6が私とジャニーズ文化を結びつけたグループであり、すべての始まりでもあり原点でもあったのだ。そんなグループが解散。今でもまるで信じられない。「やっぱり解散やめます」とかそんな馬鹿みたいな発表を心のどこかで待っている。しかし、そんなことが起こらないことは、十分すぎるほど理解はしている。そう、理解はしている。V6が解散することを。

 

私が小学生の頃、娯楽はまだテレビ番組がほとんどを占めており、「ねぇねぇ!昨日のアレ見た!?」と朝に友達と確認しあって盛り上がるのが常であった。そんな中でTBS系テレビ番組「学校へ行こう!」(改題後の「学校へ行こう!MAX」も含める)は、気づいた頃から火曜日の20時に毎週放送されており、当時の我々にとっての最高の娯楽、最高の共通言語として機能していた。名作と名高いウルトラマンティガも放送されていて、「V6とはなんだかいつも楽しそうなお兄ちゃんグループである」とジャニーズとはなんたるかをわからないまま、私はV6に慣れ親しんだ。長野博さんを見て「ダイゴ!」とテレビを指差してたなぁ。アイドルとしての認識は「とにかくアクロバティックしまくる」くらいしかなかった。

さて、年数を重ねてあっという間に私は中学生になり、学校の話題はHey!Say!JUMPのデビューや、修二と彰(山下智久さんと亀梨和也さんによるユニット)に移り変わり、いつのまにかテレビ番組を見ることも少なくなり、部活やテスト勉強やらに精を出し、自作サイトで日記を綴ったりと(当時は「前略プロフ」などが流行していたが私の学校は自作サイト派の人が多かった)、忙しくなり、次第に私と「学校へ行こう!」及びV6との心理的距離は離れていくことになる。気づけばいつのまにか番組は終了していて、それを知った時にも大きな感慨はなかった。

番組が終わろうが、地球は周り、人生は続くものである。高校(宝塚歌劇にハマった)、大学(ニコニコ動画2chまとめサイト、APHにハマった)を経てどこに出しても恥ずかしい立派なオタクになった私は、とある企業に就職した。生まれて初めての一人暮らしに自由を満喫したのも束の間、上司との相性が悪くに悪く(教育係かつ所属長だったので、どこにも改善を求めることが出来なかった)、毎日のように人格否定と見た目のジャッジをされることになり、会社から与えられた寮は私にとっての家ではなく監獄と化した。今思えば、慣れない土地になんの下調べもなく住んだこと、その土地の劣悪な治安なども影響したとは思うが、日々、心が少しずつ、確実に摩耗していった。会社のドアを開けて出社するたびに身体が重くなる感覚に襲われ、金曜日の夜に退勤したと同時に「月曜日にはまた会社に行かないといけない」とボロボロと泣きながら帰路についてそのまま泣きながら家に入り、泣き疲れて眠るのが日常茶飯事になった。明日が来るのが嫌で嫌で、眠ることを避けるようになって普段の睡眠時間が3〜4時間を切ったあたりだった。私がV6と再会したのは。

ちょうどV6が結成20周年の年だった。何気なくテレビをつけたら「学校へ行こう!」の特別番組が放映されており、昔懐かしい映像と当時の記憶よりも大人になったV6がそこにはいた。

「ありがたいな。嬉しいな。」

素直にそう思った。嬉しかった。

そのときのことは、こちらの記事でも書いている。

2015年に復活した「学校へ行こう!」を見て


「ありがたいなぁ」と思った。

当時に活躍していた人たちが今もまだ変わらず元気でいる姿に。立派な大人になっていることに。当時の番組そのままの面白さをまた作り上げてくれた制作スタッフに。

そしてV6に。


小学生のときに「常にハイテンションで面白いことをやっているお兄ちゃん達のグループ(時々歌って踊る)」と思っていた彼らが今も1つのトップアイドルグループとして存在していることに。私が「学校へ行こう!」を見なくなっていても、成長して大人になっても、彼らが彼らとしてしっかりと時を刻んでいることに。さすがに当時のような若さと破茶滅茶っぷりはなかったけれど、いつも楽しそうな空気感が変わらずあった。


懐かしいなぁ。ありがたいなあ。

いい番組だった。楽しかったな。


そんな感想を抱いて終わったが、それからすぐあとに音楽番組の生放送でバク転をしているV6を見て驚愕した。

彼らがグループとしてずっと居てくれていたことに感謝した。毎日のように否定されて疲弊していたけれど彼らを見て「自分も居てもいいんだ」と、どこか心の片隅で思った気がする。

V6がいる。彼らが存在していることに嬉しさを感じた私はそこからみるみるうちにハマることになるのだが、当時のツイートを見ると転げ落ちるようにしてハマっているので面白い。実際、とても面白く楽しい経験が出来た。家に帰っても見る気のないテレビを意味もなくつけることがなくなり、V6のコンサートDVDや出演ドラマを見るようになって家に帰るのが楽しくなった。通勤時に彼らの曲を聴きながら「よーし、今日も頑張ろう」と思うことが出来た。V6が出ている雑誌や書籍を買って読むのが楽しかった。あの頃、私は確実にV6に支えられていたし、今もその記憶があるからこそ、「彼らが存在していること」に執着していた部分もある。ちなみに、その当時働いていた会社は身も心も限界が来たので辞めて実家に帰った。この記事と主旨とは関係ないけれど、仕事関連で辛い思いをしている人へ「今すぐ辞めてもいいんだよ」と声を大にして言いたい。あと、残業時間が月45時間以上3ヶ月連続になったり、心を含む体調を崩して仕事を辞めた人は会社都合退職になって失業保険がすぐ出る可能性が十分あるので、嫌なところはとっとと辞めましょう…マジで…。傷病手当金の申請も忘れずに!

 

話が逸れた。というか、この記事は何を言いたいのか書いている私にも分からないので実に申し訳ない。今この時点で3000文字近くにもなるというとに書きたいことの1/3も書けていない。V6、好きだったなぁ。いや、今も大好きだけども。

 

要するに、私は、彼らが居てくれることを当たり前だと思ってしまったのだ。その上にあぐらをかいていたのだ。井ノ原さんの「おじいちゃんになってもV6やろうぜ」(みたいな発言ありましたよね確か)という言葉に甘えた。今まで居るんだから、20周年だから、25周年だからこれからも大丈夫だろうと舐めた考えをしていたのだ。SMAPの登場から男性アイドルグループの高齢化(長寿化)が、当然のように受け入れられてきた結果、他の人と同じように30代、40代と歳を重ね、人生を歩んできた彼らに「そのままでいてくれ」と残酷な偶像崇拝の欲望を押し付けてきた。彼らに他の人と同様、人生の岐路があるのは自然なことである。森田剛さんが「芝居がしたい」と言ってジャニーズ事務所を退所することを決断したのも、私が「やってらんねえ」と転職を決めたのも、人生の決断という点では同じである。同じにするなと言われそうだが。

周りも変われば自分も変わる、肉体も、考え方も、時代も変化し続けるのが世の常である。1年、1日、1分、1秒と鼻の先で過ぎていく今を惜しみながら生きていくしかない。そんな目まぐるしく変わっていく「今」の中で、自分のやりたいことを見つけた人を誰が責められるだろうか。やりたいことを見つけた人を送り出す決断をした彼らを誰が責められるだろうか。しかし、私の中のファンが「行かないで」と思う。森田剛さんのダンサーや歌手としてのパフォーマンスがもう見れないのかと思うともう、本当に、考えるだけで、今でも涙をこぼしてシクシクと泣いてしまうくらい悲しい。でも、森田剛さんが「芝居をやりたい」と言ってくれたことは嬉しい。森田剛さんの天性といってもいいほどの演技力が更に色んな作品を通じて発揮されるのかと思うと、とても嬉しい。やりたいことをきちんとメンバーに伝えて話し合いも何度も何度もして全員が納得いくまで向き合ったことも嬉しい。でも、でも、やっぱり悲しい。この気持ちは抑えることができない。初めて行ったV6のコンサートで森田剛さんの団扇を物販で購入し、手に持ったときの胸に広がった、言いようのない弾けるような喜びと、コンサート会場に足を踏み入れたときのあの高揚感。完成度の高い素晴らしいパフォーマンス。夢のような経験だった。また観たかった。これからも色んなコンサートで色んな森田剛さんを観たかった。MCでメンバーと一緒に顔をクシャクシャにして笑う森田剛さんを観たかった。ずっとV6にV6として居続けてほしかった。

メンバーによるコメント全文や色んな報道を見て、彼らにとってとても前向きな解散であること、アルバムを作ること、全国ツアーコンサートを行いたいことなどを知った。最後の集大成としてのV6を彼らは作り上げていくのだとわかった。パフォーマンスに対して誠実で、ファンに対して真摯に向き合うグループがそこにはあった。私が大好きなV6だ。何も変わらない。プロフェッショナルとしてのV6だ。彼らがこれから披露していくだろうフィナーレを我々は目撃することになる。笑顔で送り出せるだろうか。それとも泣き叫びながら「やめないで」と言うしかないのかもしれない。

報道があった日、仕事がちょうど終わってサクッとSNSをチェックしていたときにV6解散のニュースを知る。心の中にゴソッと真っ黒な穴が空いたような感覚になった。「ずっと居る存在」として心の支えにしていた柱が急にボキンと音を立てて折れた。胸がギシギシと軋む。だが、不思議なことに嘘だとは思わなかった。それくらい真っ直ぐに心にまっすぐ飛び込んできたニュースだった。どうして?どうして?と思いながら各ニュースサイトを確認し、コンビニでストロングゼロの500ml缶と焼き鳥とハーゲンダッツを買い、家に帰宅した。テレビをつけてすぐに1番好きなコンサートの円盤を再生してご飯を食べた。腹立たしいことに今日もご飯が美味い。健康な証である。V6が解散するというのになに美味しくご飯を食べているのだ私はと思いながら、焼き鳥も食べてストロングゼロも飲んだ。初めて買って飲んだストロングゼロはそんなに美味しくなかった。というか、私、そもそも炭酸飲料飲めない。無理やりヤケ酒をして酔っ払おうとする自分に悲しくなり、次第にV6解散のニュースが段々と自分にとって、しっかりとした輪郭を持って現実味を帯びてくることに悲しさを覚え始め、私は泣いた。隣で大人しくコンサートを一緒に見ていた夫を片手で捕まえて私は泣いた。どうして、どうして。もっと応援していればよかった。もっと好きだと言っていればよかった。もっと私にできることがあったんじゃないか。繰り返しそう言いながら泣いた。辛く、悲しい夜だった。

ここまで悲しむなら好きにならなければよかったと思うファンの人もいるかもしれない。肉体を引き裂かれるような苦痛を味わっているかもしれない。好きにならなければよかった。そう私は思わない。そして、これは私のエゴだが、この文章を読んでいるV6ファンの人にも、そうじゃない人にも、そう思ってほしくない。貴方の「好き」を、その「好き」と一緒に過ごしてきた人生を否定してほしくない。アイドルという職業はファンがいなければ存続し得ない。彼らがいたから我々が存在し、また、我々がいたからこそ彼らがいたのだから。

何かを得るということは、否応にも、その何かを失う可能性を同時に手に入れることである。出会いがあれば別れがあり、形あるものはいつか壊れる。諸行無常。それでも生活は続いていく。Life goes onである。私の大好きなV6が解散すると発表されても肉体は生命維持活動を絶え間なく続け、少しずつ老いていく。仕事は行かないといけないし、キッチンのシンクに溜まっている皿は洗って片付けなければならない。あ、そろそろ洗濯機も回さなければならない。

時代に合わせて変化してきたグループではあるかと思うが、「V6」という1つの箱を25年も守り続けるために不断の努力をし続けた彼らに、これからフィナーレを迎える彼らに、月並みではあるが、「ありがとう」と言うことにする。ありがとう。ありがとうV6。居てくれてありがとう。大好きです。

 

…ハァアアアアアアァー!!!!!!!つっら!!!!!辛い!!!!めちゃくちゃ辛い!!!!色々と御託を並べてはみたものの!辛い!辛いものは辛い!!!イエス感情!!!!!ノー御託!!!!だってさぁ!?せっかくさぁ!?成長して各個人がやりたいことを叶えていってさぁ!?それでもグループとしての活動も存続していく歌って踊れるアイドルグループがさぁ!?なくなるって!!!次の世代の良いモデルケースになっていると!!!思っていたというのに!!解散!!!そしてこの文章の「!」の多さな!!!しゃーないな!だってオタクだから!!!!!!!辛い!!!!!!二重の意味で辛い!!!!!!

 

V6!!!!幸せでいてくれ!!!解散することに対して後悔しないでくれ!!!応援するから!!!応援するって決めたから!!!こんなに好きなのに、好きをやめれるわけないでしょうが!!!!!ありがとうV6!!!!!!大好き!!!!!!最高の!!!フィナーレを!!!見せてくれよな!!!楽しみにしてます!!!!!!!!!

 

ここまで書いた。頑張って書いた。辛い、悲しい。でもやっぱり大好きなのは変わらない。

 

ありがとうV6。ありがとう。