何かいいことないかな

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今日届いたスワッグです。冬っぽくて可愛い。

コロナ禍以降、転職なり引っ越しなりを経てそれなりに毎日を楽しく過ごしている。とは思う。ただ、それと同じくらい毎日「何かいいことないかな…。」と思いながら過ごしている。

この「何かいいこと」という文面だけを見ると、昨日たまたま食べたお菓子が美味しかったとか、近所に可愛らしいロシアンブルーっぽい猫がいて見かけると嬉しい気持ちになるとかを思い浮かべてしまうものだが、実際にはそうではない。ありがたいことに周りに恵まれているので上記のような「何かいいこと」は、よく起こる。事実、この前、実家から送られてきたフグは美味しかったし、この前更新された好きな漫画は面白かった。

だが、実際はそうではない。

この「何かいいことないかな…。」は、例えば、思い立った1週間後に格安航空券で台湾旅行へ行ったり、大型連休のときに世界中を旅行するフォロワーたちの姿を見て楽しませてもらったりすることである。会いたい人に気兼ねなく会うことである。

コロナ禍以降の利点として、リモートワークが普及して働き方の幅が広がったり、無駄な飲み会が減ったり等が挙げられるが、それ以上に多くのものが失われすぎた。そして今も失われ続けている。

友人の結婚式に行く予定があった。でも、結婚式場が倒産して行けなくなってしまった。楽しみにしてチケットをワクワクしながら取った芝居は中止になった。施設に入っている祖母にはもう丸々3年も会っていない。きっと、今すぐ会いに行けたとしても彼女は私を孫だとはわからなくなってしまっているだろう。元気だろうか。Twitterのタイムラインを見ても皆んなが何の話をしているのかサッパリ分からなくなってしまったし、イーロン・マスクのこともあるしで、Twitterもそろそろ潮時なのかもしれない。マストドンにとりあえず登録してみたが、使い方がさっぱりわからない。何もせずにそのままの状態で放置する予感がすごい。

友達の結婚式行きたかったな。芝居も観たかった。祖母にも会いに行きたかった。会いたい人に会いたい時に会いたかった。行きたいところに行きたいときに行きたかった。

俗にいう「コロナ鬱」といえば簡単なのかもしれない。毎日楽しく過ごしているが、水入れたコップに1滴の絵の具を垂らしたような、薄く、濁った気持ちを胸の底に常に抱きながら過ごしている。今日も「なら楽しいことを作るか。」とポッキーを大量に買って職場で配ったり(非常に楽しかった)、してみたが、一時的なドーピングのようなもので、根底にあるぼんやりとした暗い気持ちは完全に消え去ることはない。

何かいいことないかな。と、常に思っている。先の見えない絶望感と、それでも少しずつ前進していく世界への希望の両方を抱えて生きている。