「ミュージカルは何故ミュージカルとして面白いのか ドラマとしてのミュージカル(彩流社)より学ぶ」

「ミュージカルは何故ミュージカルとして面白いのか ドラマとしてのミュージカル(彩流社)より学ぶ」

 

参考文献

「ドラマとしてのミュージカル ミュージカルを支える原理と伝統的手法の研究」

著者:スコット・マクミリン

訳者:有泉学宙

発行所:彩流社

2015529日 第1

 

はじめに

 映画「レ・ミゼラブル」(2012年)を映画館で鑑賞してからというもの海外ミュージカルにすっかりハマってしまい、大学の卒業旅行には初海外旅行を1人旅でロンドンへ行くという偉業まで成し遂げた私ではあるが、ここ最近ふと思ったことがある。

「ミュージカルは何故面白いのか?」

舞台パフォーマンスが好きなのであればストレートプレイやバレエなどもある。音楽が好きなのであればオーケストラやバンドのコンサートに行けばいいだろう(と書いたが私は音楽もストレートプレイも大好きだ)。では何故ミュージカルが好きなのか。脚本の間にナンバーが挟まれ、ダンスを踊り、時には映画製作並みの費用を使って大規模な舞台装置を設置するミュージカルをどうして私は好きなのだろうか。もちろん「好きなものは好きだから仕方ない」という最高な一言で済ますこともできるし、最終的にはこの一言で収まるのだろう。だがこの「何故?どうして?」という疑問は拭うことができない。私は答えが欲しい。そこで「ドラマとしてのミュージカル~」を参考に自分なりにミュージカルについて考察していきたいと思う。この文章はそのメモ書きのようなものである。専門家から見れば「何言ってんだお前」と殴られても文句は言えないがどうか優しく見守って(読んで)ほしい。

 

ミュージカルとオペラの違い

舞台芸術として音楽を主体とするものといえばまずオペラが思い浮かぶだろう、全てが歌によって進んでいく手法でありその歴史はミュージカルと比べてべらぼうに長い。ミュージカルは音楽を主体としながら台本によって(音楽なしの台詞によって)進んでいく手法で数々の「ナンバー」がオペラのナンバーとはまた違う役割を担っている。

 

・オペラの場合

キャプチャ1


・ミュージカルの場合
キャプチャ

上図はナンバーが持つ役割についてオペラとミュージカルを比較したものである。オペラはナンバー自体が物語を進めていくのに対し、ミュージカルの場合は台本が物語を進め、ナンバーが合間に挿入される。つまりミュージカルには「ナンバーの時間」と「台本の時間」の二つが存在する。

 

ミュージカルにおけるナンバーの役割

ミュージカルのナンバーはプロットを進めないものが多い。主人公の紹介をする歌。現状を嘆く歌。お互いの思いを伝える歌など様々な歌があるが脚本に起こすと1行や2行で終わってしまう。プロットにおけるナンバーの役割は微々たるものである。例えばミュージカル「オペラ座の怪人」のタイトルソングでもある「The Phantom of the Opera(アンドリュー・ロイド=ウェバー作曲)」は「怪人が自分の住処にヒロインを連れてくる」という一行で終わるプロットだがナンバーによっておよそ3分間もかけてドラマティックすぎるといっていいほどその空間を盛り上げる。このミュージカルの一幕の最高潮といっても過言ではない。つまりミュージカルにおけるナンバーの役割とは時系列の自由移動を可能にすることで物語上の時間を延ばしたり戻ったり、ときには時間を止めることさえも可能にする。この要素は舞台というよりも映画におけるフラッシュバックやスローモーションを挿入する手法に近い。台本の時間をナンバーによって中断させることによりミュージカルは深化し、複雑化する。

 

ミュージカル=突然歌いだす?

 先日「ミュージカルは突然歌い出すから恥ずかしい問題」について書かれた文章を読んだ。ミュージカルは台詞から歌へ急に変わるのでそれが鑑賞する側にとって違和感がある。それは日本人が歌に対して恥ずかしがっているから。というものである。その比較として全編がナンバーによって進められるオペラとミュージカルについても書かれていた。恥ずかしい恥ずかしくないの話はひとまず置いておくとして、実はこの問題はオペラにおける長年の研究課題であった。ミュージカルだけの話ではないのである。18世紀にフランスの啓蒙思想家ルソーは「一方から他方(台詞から歌)への転移はいつも驚きであり滑稽だった」と書いている。19世紀オペラはドラマ全体を形式的な歌にすることによってこの問題を回避している。途中で変わるのが不条理ならば会話も台詞も全て歌にすればいい。ということである。オペラで起こっていた問題が今ミュージカルを悩ませているとは面白い。しかし、そもそもミュージカルはオペラ、レヴュー、ダンスなどの要素を取り入れて進化してきたものでありその表現方法は多岐にわたる。ミュージカル「ジャージー・ボーイズ」ではフォー・シーズンズの数々の名曲をコンサートに近い状態でパフォーマンスされる。ミュージカル「コーラス・ライン」ではミュージカルの裏側であるオーディションやリハーサルを扱った作品で役者が「1234」と呟きながら本番の為にステップを踏み、メロディーを歌い出す。それは台本に組み込まれた歌であり、それは「突然歌い出す」というような事例には当てはまらない。様々な手法を取り入れ、進化し続けるミュージカルにおいて「突然歌い出す」という問題は既に問題ですらなくなっているのではないだろうか。

 私はミュージカルにおけるナンバーの挿入(突然歌い出す)の起源を辿ればストレートプレイにおける詩の引用になるのではないかと思っている。それが日本の場合俳句、短歌を経て歌舞伎という一つの〝ミュージカル″になっている。つまり元は同じところにあるもの(詩)が進化するにつれて分かれてしまっているが故に受け入れにくい。違和感がある。という話であり、奇抜な風貌の歌舞伎や日本各地で行われる祭りについて考えると日本の歴史や文化において「歌が恥ずかしい」「派手なこと、目立つことは恥ずかしい」という話ではないというのが私の結論である。

 

ミュージカルは何故ミュージカルとして面白いのか

 「華麗なるミュージカル ブロードウェイの100年」(NHKなどによる国際共同製作)を見ていると如何にブロードウェイミュージカルが社会の影響を受けているのかがよくわかる。この番組は1900年頃から順を追って2000年代までのミュージカルの変化や背景を追った番組で当時の歴史的背景や代表作を知ることができる非常に優れた番組である(円盤販売や再放送されていないのが実に惜しい)。1900年代にレヴュー形式の歌と踊りを取り入れた舞台パフォーマンスがブロードウェイで誕生し、それが現在に至るまでミュージカルとしてアメリカ中の、いや世界中の人々を楽しませている。ブロードウェイミュージカルだけではなくロンドンミュージカル、ウィーンミュージカルなども同じように社会の影響を受け、変化し続けている。歌、プロット、ダンス、舞台装置を兼ね備えたミュージカルだからこそ、その影響はより色濃く出ていると私は思う。舞台パフォーマンスだからこそできることがある。その中でもミュージカルだからこそできることがある。「ガイズ・アンド・ドールズ」でナイスリーが歌う「Sit Down, You’re Rocking the Boat(座れ、ボートが揺れる)」でギャンブラーと教会関係者が一緒に歌い踊りアンサンブルへ発展するという精密な滑稽さはミュージカルでしか生まれないだろう。このナンバーには主人公は出てこない、ヒロインのソロもない。脇役のキャラクターによるナンバーでプロット上においての物語を進めることはない。だが素晴らしいショーストッパーであり、このミュージカルはこの曲にかかっていると書いた評論家もいるほどだ。ミュージカルにおけるクライマックスがプロットのクライマックスではなくナンバーのクライマックスになることは珍しくない。ナンバーがプロットを超えるという現象もミュージカルならである。歌と台詞があるミュージカルは面白い。台本とダンスがあるミュージカルは面白い。タブーを取り入れ、観客すら敵に回し、社会に挑戦的であるミュージカルは面白い。古き良き文化を掘り起こして我々に夢を与えてくれるミュージカルは面白い。私はミュージカルが好きだ。