映える映えない生活

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久しぶりの更新。

10月からゆるくウォーキングを始めた。Twitterのコミュニティ機能で「何でもいいから継続しましょう」を掲げているグループに入れてもらって、コツコツとメンバーと励まし合いながら、時には挫折しながらボチボチと歩いている。夫も誘って一緒に歩いているので、必然的に会話が増えてよかった(普段も会話は多い方だと思うが)。ただ、お互いの毎日が家と職場の往復になりがちで、いい意味でも悪い意味でもマンネリに陥ってしまっていたのを打開できたというか。近所を散策しながら「ここのラーメン屋さん美味しいらしいよ。」「なら今度行く?」とか、「金木犀の匂いだ!探せ!」「こ、ここだー!!」のような新しい発見をしながら、なんてことない平和な会話が楽しいのである。早くも老年夫婦ような時間の楽しみ方をしてしまっている気がするが、それでいいと思う。それで充分だとも思う。

そんなわけで、私の生活の大半はいわゆるインターネット映えのしないもので占められている。

 

インテリアや生活雑貨までブランドもので揃えてタグ付けを可能にすることに、哲学を感じないわけではない。
六本木のLiving Motifなんて行くと私には到底手が出ない(そして違いがわからない)白い皿が売っていたりする。
佇まいが美しいのだ。
そういう生活ができない自分が、SNS疲れではないけど、すごく惨めになることがある。結構ある。

necomimiさんのこの記事を首がもげそうなほど頷きながら読んだ。私も惨めになることがある。昔も今もそうだ。毎日のように煌びやかな写真や動画、文章を浴びていると自分がたまらなく惨めに思える。他の皆んながやっているように、自分も30歳の誕生日に少し背伸びしてジュエリーやブランドもののバッグを買おうと考えてみるけれど、私はすぐに物を失くすし、忘れ物は多い。高価なジュエリーもカバンも靴も大事にできる自信がない。買う前から失くすことや飽きて使わなくなってしまうことを考えてしまう。そして買わない。買いたい。他の人ならきっとポンと買うのだろう。勝手にそこまで勝手に暗くなる。そんな自分が惨めだ。

でも、まぁいいかと夫と散歩しながら思う。目的はウォーキングなのでもっとシャカシャカ歩いた方がいいのだろうがマイペースに歩く。散歩ついでに焼き芋やたこ焼きを買って帰ることもある。運動によるカロリー消費の意味がなくなるような行為だが、やめられない。

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焼き芋です。映えない。だが美味しい。ほくほくとした芋の食感と甘さを楽しむ。片手に焼き芋を持ってすっかり冷たくなった風を頬に感じつつ、それでいて鼻では金木犀の甘い匂いを探しながら、夫と今日ものんびりとマイペースに歩く。

私の生活は映えない(ごく稀に映えるが)。そしてこれからも、なんとかして映えたい気持ちと、映えなくても充分に楽しく暮らしているじゃないかという気持ちを行ったり来たりしながら悩んでいくのだろう。あーだこーだ言いながら私は30歳の自分へのご褒美プレゼントも買いたい気持ちも、高級ホテルでのアフタヌーンティーも大事にしたいのである。憧れは向上心の起爆剤だからね。難しいね。

4年前の自分の書いた記事を読んでみると、めちゃくちゃ人生を謳歌していて懐かしくなった。楽しかったなあ。今も楽しいんだけど、楽しさの質が全く違うものになっている。ハレとケなら今の自分は完全にケの側だ。人生ってマジで1年やそこらでガラッと様変わりするな…と自分の人生なのにどこか他人事でブログを読む。余談だが、こういうことがあるのでブログを書くと楽しいです。オススメ。みんなもブログをやろう。

 

ブログに書きたいことは沢山あるのに、いざ書き始めたらこういうことばかり書いてしまうな…。1回くらいバズってみたいな…。そういうことを書いちゃうからバズらないんだろうな……。