アイデンティティが見つからない(追記あり)

5/21の日記。

タイトル通りである。自分のアイデンティティが見つからない。そのことが私自身を苦しめている。「自分にとってネガティブなことや、マイナスなことはインターネットにあまり書かないようにする」と書いたのはいつのことだったか思い出せないが、今日は書くことにする。すぐに消すかもしれない。

引っ越してから、常にどこかうっすらと暗い気持ちがある。そう書くと、夫はさぞかし悲しむだろうが事実である。そしてどこかうっすらと暗い気持ちがあるのと同様に、毎日をなんとか過ごせるくらいは嬉しいことや楽しいこともあるのだ。ただ、なんとなく毎日を過ごしていく中で、自分の輪郭が段々と滲んでぼやけていくような、自分が自分でなくなるような、というかそもそも自分とは何だったのかわからなくなってしまう。それが悲しい。

20代前半あたりまでは「自分は特別な人間で何者かになる」のような妙な(若いとも、世間知らずともいう)プライドと承認欲求があり、必死に自分という人間を形作るピースを探しては世界に埋め込んでいたように思う。常に誰かに認められたくてTwitter廃人になりかけた日々もあったし、今思い出しても穴を掘りたくなるような言動は数えきれないほどある。好きな漫画や映画を見つけて盛んにツイートしていたときは常に楽しかったし安心していた。「これが私だ。」と思った。○○が好きな私、舞台が好きな私、映画が好きな私。誰に強制されたわけでもない。私が見つけた私自身だ。そのことが嬉しく、そして誇らしかった。○○オタクな自分が好きだった。

だが、夫に出会い、結婚し、引っ越した。世界はコロナ禍前と後に分けられ、私は趣味にかける熱が少しずつ薄れていき、最近では過去にTwitterでフォローした趣味関連のアカウントをリムーブしている。ロンドンの劇場アカウントを、ブロードウェイのニュースアカウントを、日本の演劇制作アカウントを、少しずつTLで見かけるたびにリムーブしている。興味のなくなったアカウントをリムーブするのはさして珍しくもない行動だとは思うが(そしてTLの先鋭たちが情報をRTしたり流してくれるので信頼しているのもある)、私にとっては自分の血肉を1枚ずつ削っていくようなものだった。嫌いではないが、もう好きではなくなったものに別れを告げていくのは、同時に「○○好きな自分」と別れることであり、自分が自分でいられる土台を自ら崩しているのと同意義だ。

夫の地元に引っ越してから私のことを旧姓で呼ぶ人はいない。名前で呼ぶ人も少ない。万が一、夫と離婚したら私はこの土地では暮らせないだろう。職場は良い人ばかりだが、結婚前の私を知る人はいない。今までがむしゃらにかき集めてきた「私」を構成するパーツをあっという間にベリベリと色んなものを剥ぎ取られて、自分が透明人間にでもなった気がする。

結婚したことに1ミリも後悔はない。引っ越したことにも後悔はない。毎日夫と過ごせるのは嬉しく、幸せに満ちた日々だ。ただ、それでも、この場所では、私はただの私ではなく、夫の妻であるという言葉が頭につく(苗字が変わってしまったのだから当たり前ではあるが)。仮に今、地元に帰ったとしても、過去の私を知る人も少なく、今の私を知る人もいないのだろう。実際、実の両親でさえいまだに私を「気難しく頑固で愛想のない子」として見て(心配して)いる。社会人スキルとして社交辞令と営業スマイルを必要最低限身につけていることを伝えても、だ。親にとって子はいくつになっても子である。彼らにとっては私はいつまでも口を尖らせてむくれた表情をしている幼児なのである。

上記のことから、私は私を形作るものがない、今の状況に苦しんでいる。ステータスも何も関係なく、私は私という人間で、存在しているだけで価値があり、尊い人間なのだ。という言葉は思い浮かぶが、何の実感もないまま胸の中にぶら下がっている。いくら私の中を探しても「私」が見つからないのである。このまま消えていくんじゃないか。私なんか存在してもしなくても、ここからいなくなってもいいのではないか。必要とされていないのではないか。だって、私には何もない。そんなふうに、私と世界を繋ぎ止めているものが毎日プツリプツリと糸を切るように薄くなっていく、そのことが末恐ろしかった。

そんなことない、と周りの人は否定してくれるだろうか。叱ってくれるだろうか。叱ってくれ。ここ最近の、自身への馬鹿馬鹿しいほどの悲観的な目線をどうにかしたい。カウンセリングとか行った方がいいのかもしれない。

この記事はいつかの私にとっての灯台になるのだろうか。すぐに消すかもしれない。念のために書いておくが、毎日の生活に特に不満はなく、日々それなりに楽しく過ごしており、来月には旅行も控えているしハッピーです。だからこそ常に自分の胸の奥底にある、このやっかいな感情をどうにかしたいのだ。私のアイデンティティよ。貴様はどこにいる。

 

5/25 追記

あれからグルグルと色んなことを考え、「また少しずつ少しずつ自分らしさを積みあげて形を確認しながら生きていくしかないのだろう」という結論になった。この「何もない私」もまた私なのだから。