NTlive「レオポルトシュタット」感想 〜 現在とは積み上げられた無数の過去だ 〜

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自分にとって舞台を観ることは、ある意味「自分探し」をすることに似ている。目の前で起きるドラマを観ながら脳内でキャラクターに感情移入しして胸が張り裂けそうになる、かと思えば「ハイハイ貴方はそういう考えなのね。」と軽蔑的な眼差しを送ることも一度や二度ではない。舞台の上で語られる物語は天地万物であり、それを目撃する我々は無限とも言える「もしも」を自分の中で繰り返し繰り返し自問自答しながら観ることになる。もし自分なら?もしあの物語の中に入れたら?もし、そうではない現在があったとしたら?

役者の演技から紡がれる物語、舞台セットや衣装、照明、音楽が融合した空間と対峙するとき、私は確かに自分という人間の輪郭を指でなぞるような感覚を覚えてしまう。

 

そんな感覚を忘れずにいたい。そう強く感じたのが、私の今年初観劇であるNTlive「レオポルトシュタット」である。

 

映画『恋におちたシェイクスピア』でアカデミー賞脚本賞を受賞するなど、英国を代表する劇作家トム・ストッパードが、自身の家族の歴史から着想を得て執筆した脚本が待望の舞台に。あるオーストリアユダヤ人家族を、第二次世界大戦までの50年間に渡り描く壮大な家族ドラマ。(公式サイトより)

レオポルトシュタット | ntlivejapan

 

1900年から物語は始まる(うろ覚えなので間違っていたら申し訳ない)。絵の額縁を思わせる舞台セットの中で動き回り、会話を続ける登場人物たちはまるで肖像画の中のモデルのようだ。豪華で巨大なクリスマスツリーを飾り付ける子供たちがなんとも可愛らしい。彼らを見つめる大人たちの目線もまた愛情や責任に満ちており、家族という美しく祝福された小さな社会が血縁という道具を使って構成されているのがよくわかる。そしてまた、家族を構成する人物にそれぞれの複雑な人生があることもこの物語の中で語られていく。

だが、我々は知っている。彼らの一族が、これから先にどんな道を歩むことになるのかを知っている。時代は流れ、オーストリアの帝国時代は「古き良きもの」である遠い過去と成り果てる。不穏な空気が少しずつ確実に一族に影を落としていく。舞台上にいる1人、また1人と数が減り、衣装の色は段々とくすんだものになっていく。美しく祝福されたはずだった家族が、血縁が、逃れられない呪いとなり彼らを苦しめていくのだ。人生と肉体を与えられる際に否応になく同時に与えられる「血」を、時代のありようによって、人々の都合のいいように形を変えて利用されてきた歴史と地続きの中で私たちは生きている。

 

舞台は最後、戦後の時代へと時を進める。残された3人の人物の会話から握りしめた自分の手から血が滲むような悲痛が漂う。生きているはずだった自分の一族、そこから産まれていたかもしれない新たな家族、そして温かな未来。その一つ一つを「アウシュビッツ」、「強制収容所」、「死の行進」という単語1語だけで全てが語られ、物語は終わる。

 

私は何者だろうか。その答えを探している時、額縁の中の彼らが私を見つめている。