あと10週間で2019年も終わりらしい

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マジかよ。ちなみにこれはこの前親友と行った京都のドライフラワー専門店です。店内に入った瞬間にわかるドライフラワーの濃い匂いと天井を埋め尽くす花、花、花。天国のようだった。

 

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あまりにもこの場所を好きになってしまったので自分へのお土産にスワッグを買って帰った。春先まで飾っておきたくてブラウンとホワイトベースに少しだけグリーンを足してもらいました。

近況です。前職を辞めて約2ヶ月ですがまだ無職です。今はたまに前職関連の仕事を手伝ってお小遣い稼ぎしつつ、失業保険の申請とかしつつ、転職活動してるって感じです。はい、ダラダラしています。あといつまで転職活動しとるねんっていう(なんやかんやで半年くらいしている)。暇なときはアプリ版の三國無双をやり倒している。楽しい。

実家から今の場所に引っ越してちょうど1年だけど、引っ越したときは「まさか引っ越すなんて思わなかったなあ」と思っていた。今は「まさか仕事辞めるなんて思わなかったなあ」と思っている。人生そんなもん。

最近人生について考えることが多くなっていて、自分にとっての「十分量の幸福」ってどれくらいだろうと頭の中をこねくり回している。前職関係の転職活動をしていて思ったことが「都会と地方」の圧倒的な求人量、仕事量の差だ。私が片っ端から門を叩いて仕事をもらっていたときに、まさにそのときに自分やりたい仕事がネット検索かけるだけで東京で即見つかるので泡吹いて倒れそうになったことが何度もあった。

娯楽にしても仕事にしても環境にしても何年も前から自分の地方コンプレックスとずっと向き合っている。少子高齢化率が全国トップクラスの地方で生まれ育った。よく言われる「遠征に交通費がかかる」とかではなくて、まだ幼い自分が「選択肢を知ることさえ出来なかったこと」に苦しんでいた。いや、今でも苦しんでいる。「将来こうなりたい自分」を思い描くにはあまりにも周りのモデルとなる大人の種類が少なすぎたと思う。でも周りの人は悪意をもってそうした環境を作り上げたわけでもないし、親から子へ、子から孫へと受け継がれていったものなので誰も悪くない。私は私として生きるしかないし、共に歩んできたこの肉体を剥がして概念や思想だけフヨフヨと浮いて暮らせたらどんなに楽かと思うけど、食べることと寝ることが大好きなので難しい。肉体は最低で最高だ。今も肩凝りと頭痛に耐えながらこの文章を書いているので肉体は最低だし、洗い立てのシーツにくるまって清潔な匂いを肺いっぱいに吸い込むのも、寒いときに熱々のココアをマグカップに入れて、両手で包み込むようにしながら飲むのも、素晴らしい作品に触れたときに感動して胸の奥底が震えるのも肉体があるからできることだろう。最高だ。話が大いに逸れた。申し訳ない。

話を元に戻す。私の地方コンプレックスだが、元を辿れば単なる「隣の芝は青い」現象だ。なので最初に書いたように「自分にとっての必要十分量の幸福」を模索している。隣の芝生は青いけど自分の芝生も悪くないじゃん。そう思えるようになりたい。なれない。なりたい。SNSを開けば毎日誰かが「私のやりたいこと」をやっている。まぁ自分好みにカスタマイズすれば誰もがそうなるだろうとは思うが、自分の好きなことは、自分のやりたいことにすぐに直結するので欲望のコントロールが難しい。難しいなぁ…。

そろそろ本腰を入れて自分のライフプランなりキャリアプランなりを考えないとあっという間に何もできないまま年齢を重ねていくだけになるんだろうと思っているけど何をしたらいいのかわからん!とりあえず再就職!そう!再就職!生活の安定!生活の安定は心の安定!今こんなにうじうじしているのは不安だからだ!よっしゃー!!!!頑張るぞー!!!!!面接行ってきまーす!!!!!!楽しむぞー!

 

最後無理やりテンション上げて書いたけど多分そういうことだと思うので転職活動頑張ります。生きるぞ