なんとなくの備忘録

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帰省先から我が家に帰る道中である。高速道路は混むだろうといつもとは違うルートを選んだらそれが裏目に出て、かえって時間がかかる結果になってしまった。まぁ特に予定もないのでいいけども。

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3ヶ月ぶりの地元は初夏を迎えて輝くばかりの新緑と花と海で満たされていて、シンプルに「美しいな」と感動するには十分すぎるくらいだった。離れてわかる自然の豊かさとそのありがたさよ。数年前から始まる観光ブームで開発が進む地元だけれど、そこかしこにある自然と波音と潮風は何も変わらない。綺麗だなと思う。逆を言えば、綺麗だなと思えるようになった。都会的な刺激がまるでない故郷は、幼い私にとって閉鎖的で退屈で牢屋のようにさえ感じていたから。この歳になって穏やかな気持ちで地元で過ごせるのはありがたい。

亡き祖父の墓参りと墓掃除をしたり、4年ぶりに開催されたらしい地元の春祭りの話を聞いたり話したりして忘れかけていた方言と訛りがあっという間に戻る。それにしても地元のコミュニケーションのストレートさには驚く、私が仕事関係や浅い人間関係の人に会わないのもあるが、社交辞令も気遣いも裏も表もないド直球さ。暴言に暴言で返して、数秒後にはゲラゲラと笑う許された間柄でしか許されないラフな会話な単純さとテンポの良さと言ったら驚くものがある。決して褒められたことではないが、ハッキリと言いたいことを言う、言いたいことを言われると分かっているからこそ成り立つ関係性の朗らかさが地元にはある。ビジネスライクな距離間を大切にしたコミュニケーションも嫌いではないが、人間同士の会話の気持ちがいいほどの単純さはカラリとしていて、それはそれでいいものである。地元の環境も、地元の人たちも好きだなぁ。帰ってきてよかったな。

と思っていたのに、突然、祖母に生前の形見分けをされたり(祖母はまだまだ元気)、同級生に遭遇したりして(地元あるある)、情緒がめちゃくちゃになってしまった。過去に存在していた無限の「もしも」と、未来に存在する絶対の「もしも」を垣間見ることになってしまい気持ちがえらいことになっている。私はフィクションの「自分ももしかしたらそこにいるかもしれない」という可能性を楽しむのが好きだが、今は自分の人生の未知数な可能性に溺れてしまいそうである。えらいこっちゃ。傍目から見れば何も変わっていないが、人の人生とはこういう少しずつの内面の変化で変わっていくのかもしれない。

まとまってないけど終わり。